こころのこと




★振動数
 2015.6.23

すべてのものは、振動している。


それは、周波数、振動数として捉えることができる。


振動数の違いで、ものの形成のされ方やそのエネルギーが変わってくる。


氷の振動数が速くなれば液体になり、さらに速くなれば気体となる。


また、そのもの独自の固有の振動数もある。


鉄には鉄の振動数。

塩には塩の振動数。

髪には髪の振動数。


そして、振動数は色としても捉えられるし、音としても捉えられるから、振動数の違いによって、それを色や光で見ることもできるし、音として聞くこともできる。


大きく捉えれば、人間という種も共通した振動数帯域を持っているが、それはまったく同じではなく、人種や性格、その時の感情の状態などによっても、人それぞれによって微妙に振動数が違っている。


これが、その人の「波動」というものなのだろう。


それぞれのものや人、世界のすべてが色や光として見えたり、音として聞こえると楽しいだろうなあ。


この地上には、色んなたくさんの色や光、音が存在している。


だが、その色や光、音には、「これは良い色、光で、これは悪い色、光だ」などとということはなく、それ自体に良いも悪いもない。


ただ、そういう個性(違った振動数)があるだけであり、ただ、そこにそういう状態で存在しているだけである。


私の色や光、私の音は、どんなものだろうか・・・。


自分の目で見てみたい。

自分の耳で聞いてみたい。


自分自身の感覚で、私が私の色んな側面をただ味わってみたいなあと思う。





★自分としての人生
 2015.6.16

一度しかない、自分としての人生。


私として私を生きる。


私という個性全開の人生を生きていきたい。


私とは何者なのか・・・。


私はここに生まれてきて、心から何がしたいのか・・・。


ハッキリとわかることは、私を全力で生きたいという欲求が私の中に存在していること。それが何よりも、ただただ、うれしいのだ(*^_^*)





★2015年を迎えて思うこと
 2015.1.1

新年あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます


昨年までの流れから次への流れに入っていっているなという感覚がさらに強まっています。


昨年は、インナーチャイルド統合療法のセッションにおいては、クライアントさんのさらによい改善結果がたくさん出ました。今まで以上にさらに早くよりよい劇的な結果が出るようになりました。私自身の力がより上がったことを実感しています。とてもうれしいことです。


長年とことん(ある意味命をかけて)クライアントさんの心の奥に向き合わせて頂いてきたことで(ほんとうに皆様のおかげで)、心を根源から癒していく時の原理・理論が余すところなくすべてわかりました。(ここには大きくいえば、2つの流れがあるのですが、)クライアントさんの中から、その流れが出てくるお手伝いが(いくつかのチェック箇所をしっかりと確認しながら)出来れば、安全安心に誰もがみんなトラウマを解消することが出来て、生きていくことが劇的に楽になります。


とても大きな話しをするようですが、これまでの実績から今では、インナーチャイルド統合療法を国が導入してくれて、そのセラピストを増やしていければ、必ず、日本は数年のうちによりよく変わっていくということを確信しています。


セラピーにより、国がよりよくなっていくことの流れでいえば、トラウマを解消して、自分が自分自身と心からつながり、自分をありのまま愛している人が増えると、自然にその家族関係がうまく行くようになり、家庭が平和になります。そして、そこからそれぞれの地域の人との関係性も自然によりよく出来るようになりますから、各自の拠点が平和で安心できるものになって、自然と日本は平和な国へと変わっていきます。


また、トラウマを癒すと、心が安定するので犯罪率は激減します。犯罪心理学を勉強すると、やはり犯罪を起こす人の家庭環境はかなり大変な場合がほとんどですので、その環境から抑圧し、蓄積してきた過去の怒りや恨み、憎しみ、不安、恐れ、自己否定感、嫉妬、人生へのあきらめ等々の強いネガティブな感情や思いが癒されると、本来持っている純粋さが自然に発現するようになります。(私は、心理療法の現場を経験することで、性善説が完全に正しいことを確認しました。人は本来、善なる存在なのです)


このように、しあわせと世界の平和の原点は、まず、一番身近な者とのつながりをよりよくし、強くすることです。それは、まず最初に、「自分自身」です。そして、次に「家族」となります。


家族や他の人との関係性ということでいえば、セラピーにより、子供さんがおられる親(特に母親)が、心の底から自分で自分を愛する体験をし、心の奥からの自分らしいありのままの感情や感覚(私はこれをインナーチャイルドセンスと呼んでいます)を感じることが出来るようになると、それと同じように、子供自身が「自分は愛されている」と感じられる表現、行為をまったく自然に行うことが出来るようになります。(今、児童虐待がかなりの率で年々増加していますが、虐待をしてしまう親は、その人が子供の頃に親から同じように虐待をされていますので、その部分を癒すと子供への虐待はなくなってしまいます)


独身の人が、心の底から自分で自分を愛する体験をし、心の奥からの自分らしいありのままの感情や感覚を感じることが出来るようになると、自分にぴったりのパートナーが心からわかるようになるので、しあわせな結婚とその後の人生を歩めるようになります。(パートナー関係がうまく行かない方も、片方のパートナーが癒されると、不思議なことに、その相手が何もしないのに自然によりよく変わってしまうということもよく起こります)


親との関係性で悩んでいる人は、過去からの抑圧してきた感情を解放し、過去からの呪縛から外れ、心の底から自分で自分を愛することが出来ると、不思議なように自然に親を許すことが出来るようになります。また、赤ちゃんや小さい頃には持っていた、依存とは違う親へのやわらかい憧憬、あこがれのようなものが自然に出てきて、自分が望むだけ親と仲良くできる(仲良くする)ようになります。


他の人との関係性に悩んでいる人は、多くの場合、子供の頃に自分をイヤなやり方で扱った人への思いやその時の感情、感覚が心の奥に残っています。それ故に、他の人から過去に自分が傷つけられたのと同じようなやり方をする人や自分で同じような人だと感じた人が苦手になります。これが、「投影」ですから、投影していた人(最初に自分をイヤなやり方で扱った人)とのことで解消しきれなかった感情や感覚を解放することが出来ると、安心して楽に周りの人と関われるようになり、もしもそれがうまく行きにくい時でも自然によりよく対処したり、改善できるように(しようと思うように)なります。


これらのことは、セッションを受けて下さった皆さんに自然に起こることです。

ただ、そこで一番大切なことは、うまく出来なくてもいいですから、『自分が自分の心に向き合い、よりよく変わりたいと思うこと』です。その意志さえあれば、誰もが必ず楽になって、よりよい人生を生きることができるようになれます。


私の手法に限らず、世界にはよりよく変容していくための方法が、もうすでに存在しています。すでに出揃っていますから、その人の段階に合った癒しや治療は、その気になりさえすれば、いつでも手にすることが出来る時代になっています。後は、自分がその人生において何を望むかということだけです。ほんとうは、人間は心から望んだ事や物、人生を手にすることが出来る存在なのです。


人々の心が安心感と平安に満たされ、日本にそして世界に、しあわせが充ち満ちていきますように・・・。微力ながら、私がそのための一助になれますことを心より願います。


今年がよりよい年となられますように・・・。あなたのおしあわせをお祈りいたします。





★セッションの現場からA  2014.10.9

初めてセッションを受けられたこのクライアントさんは、うつ気味の子供さんを何とかしてあげたくて、まず自分を癒さなければと思い、縁あって私のところに来られました。


この人のご両親は、厳しくて、口うるさい方のようでした。


セッションでは、心の奥に焦点を当ててみて、自然に浮かんできたチャイルドは5,6才の子でした。チャイルドの手に触れるイメージをしてみると、潜在意識(無意識)が反応しはじめて、記憶としてではなく、その当時に感じていた思いや感情が不思議なことに出てきます。


この子から伝わってきたのは、「お母さんが自分をどんな風に見るか」、「お母さんに何といわれるだろうか」、「怒られるんじゃないか」という思いでした。普段、お母さんはこの子に、「あーしなさい、こーしなさい」と強い表現で指示ばかり出していました。


そのためにその子は、「自分がしたいことでも、それがお母さんの好みと価値感に合わなかったらダメなんだ」、「自分はお母さんの好みや意に添えないダメな子だ」、「親の思うような自分じゃないとダメなんだ」と思い込んでいき、ネガティブな自己イメージ、自己価値感を子供の頃に持ってしまいました。


また、その当時のお母さんに焦点を当てて感じていくと、お母さんから伝わってきた思いは、「この子をいい子に育てたい」、「100点満点のいい子にしたい」、「ちゃんとして欲しい」という思いでした。お母さんからすると、ただこの子がしあわせになって欲しいという子供への愛情からの思いですが、この子自身は、お母さんからのこの思いでがんじがらめに縛られている感覚を強く持っていて、その状態の中でほんとうは、「すごく息苦しくて、窮屈」、「自分を否定されている」という感覚や思いを強く持っていたことが心からわかったのです。


そして、その奥にある「さびしかった」思いが理解出来ると、心からの共感が起こって、その子をお母さんからして欲しかったやり方でギュッとして、よしよしして『いい子だね、大切だよ』と自然に心から伝えてあげることができました。そして、安心したチャイルドを自分のハートに納めて統合してあげました。


セッションが終わってこのクライアントさんは、『ずっと心にぽっかりと穴が空いていた感じがありましたが、そこが埋まった感じがします。ここに来る前にあった不安感がなくなって、すごく安心しています』と表現されました。(このような表現はとてもよく伺っています。「心の欠けていたピースがはまった」、「心にずっしりとよい重みが出た」、「心に厚みが出た」、「心がふくらんだ」、「心の中心に軸が出来て、しっかりした」、「心が温かく、ぽかぽかする」、「心が金色に光っている」などなど、色んな反応があります)


また、本人にはお伝えしませんでしたが、お顔を拝見すると、目が澄んでいて深みが出て、来られた時の印象よりもかなりすっきりとされていました。(癒しが起こると、目の印象やお顔がその方が驚くほど変わることがよくあります。ある女性は、とても若く綺麗になられて、次に来られた時にほんとうに同じ人かなと思うぐらい変化された方もいました。また、ある男性は、鏡を見ていて明らかに自分の目が今までよりも深みのあるいい目になって、とてもよろこんでいると伝えて下さった方もいました)


実は、あまり知られていないことですが、このインナーチャイルドを癒すという方法にも様々なやり方があります。私の手法は、常にチャイルドを客観的に見て感じていくというものです。人は自分のことはよくわからないものですが、他の人のその状態や思いなどは意外とよくわかります。それは、その人を客観的に見ている(客観視している)からです。ですから、イメージの中でも、自分(大人の自分)が子供の自分(チャイルド)を客観的に見ていくことで、様々な対処も出来て、安全安心にほんとうの思いや感情を感じられて、劇的な共感と癒しが起こってくるのです。


それから、このクライアントさんの子供さんに関してのことですが、この方がお母さんから「100点満点のいい子に育てたい」という思いをずっと向けられてきたので、「100点満点の自分でないといけない」、「ちゃんと出来ないといけない」という親から愛されるため、傷つかないための役割、観念が形成されました。


このクライアントさんも、自分自身がそうしないと親から愛されなくなると感じて、そうすることでしか生きていけなかったので、自分の子供にもその子のためを思い、純粋に愛情として、「100点満点のいい子になりなさい」、「ちゃんと出来るようになりなさい」という思いを無意識のうちにも向けてしまったのです。(いつもいいますが、トラウマとは悲しいすれ違いなのです)


そして大事なことは、自分自身が子供の頃、その状況の中でほんとうは、「すごく息苦しくて、窮屈だった」という思いや感情を感じていたことがわかったので、今までのように自分の子供を同じ状況に置こうとした時には、「こうすることで、この子も私と同じように生きることが苦しくて窮屈になるんだ」とはっきりとわかり、また、自分がありのままのチャイルドにただただ接してあげるだけで心がとても楽になった感覚も実体験でわかるので、自然に自分の子供をチャイルドと同じように、そのありのままを受け入れてあげることが出来るようになります。


そうすると、子供はその子らしく楽に生きられるようになります。私は子供さんがおられる方には、いつもお伝えしています。『子供にはまったく問題がありません。本来子供は、まったく大丈夫な存在なのです』と。


子供に問題が出てくる時には、ほんとうは親が心の奥に隠してきたその生きづらい思い(トラウマ)を癒して、しあわせになってねという子供からのメッセージなのです。


親が変われば、子供はすぐによりよく変わっていきます。そういう変化を私もたくさん見させて頂きましたが、それは驚くほどのものでした。何人かの方からは、セッションで自分を癒して帰ったら、問題のあった子供が今までとまったく違う反応で、何もしていないのに子供がよりよく変わってしまったという報告なども頂いています。


今、世間では「毒親」という表現が流行っていますが、私から言わせれば、毒親とは強いトラウマを負った親であるだけなのです。トラウマを癒すと、まったく自然に、ほんとうの意味で愛情深い親、言ってみれば「愛親」となるのです。


子供さんを持たれている方に限らず、誰もがみんな、まず自分が自分をありのまま受け入れ、認め、愛すること。そこから、心からの安心感が生まれます。(でも、ほんとうは子供の頃に親からこれをもらえていれば、この安心感が心の奥に定着していたのですが・・・・・・)


自分の内側に平和を築くことが出来ると、自然に世界は平和なものとなっていきます。


あなたの心に平和と平安が訪れ、そして、この世界に平和と平安が満ちあふれますように。





★セッションの現場から@(続き) 
 2014.8.18

これから時々、「セッションの現場から」という題名で、最近の様々なセッションの実例を載せていこうと思っています。(ここでご紹介する実例は、クライアントさんから許可を頂いたものだけを載せていきます)


そして今日は、前回載せさせて頂いたクライアントさんが、その後の状態をメールで下さいましたので、ご紹介したいと思います。


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こんにちは。

先週のセッションから、体がすごく楽になり、久しぶりに夜も眠れて快適です!

今までは2人の相違点ばかり気になっていた親友と会ってみたら、意外にも共通点ばかりに気がつき、またすごく好きになりました。

くじ引きで1等が当たったり、たまたま入った店で記念品を貰ったりして驚きです。

先生のお蔭で自分と繋がれたこと、心から感謝しています(=^∇^=)

ありがとうございます!

(後略)
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この方は、3才の時からずっと長い間、父親からは、しつけの為によく手をあげられたり、親の気分次第でたたかれたりしたそうです。


心療内科に行っても、どこに行っても全然楽になれないので、ご紹介で私の所に来て下さいました。


親から離れての生活が長くても、ずっと生きづらを感じておられて、このところは、めまいとか不眠にも悩ませられていたようです。楽になられて、ほんとうによかったです!!

親友とのことは、今までは、その人に自分を投影してしまっていたのだと思います。だから、親友に自分と似たネガティブなところばかりに焦点が当たり、受け入れられずに、相違点として感じておられたのだと思います。


そして、インナーチャイルドをありのまま受け入れられると、自分のよい部分がどんどん感じられるようになるので、親友の中にある自分と同じよい部分に焦点が当たって見えて、それをありのまま感じることが出来るようになるのです。


『相手の中の気になるところは、自分自身がそれと同じものを持っている』ことがほとんどです。


これが、波動(振動数)は、同じ波動と共振、共鳴するという共鳴の原理です。いわゆる、類は友を呼ぶの原理です。また、引き寄せの法則ともいいます。友達でも、パートナーでも、実は同じ波動を持った人が無意識につながっていくのです。


ですから、このクライアントさんは、自分をありのまま受け入れて、好きになると、親友のありのままを受け入れて、さらに好きになっていたのだと感じます。これが進んでいくと、周りをありのまま受け入れていって、どんどんとみんなと仲よくなり、次第に争うということがなくなっていきます。


これが、人間が持っている『自分を扱うように、周りの人を扱う』という特徴です。


そしてさらに、共鳴の原理で、自分をありのまま受け入れて、大事にして、愛していると、よきことがどんどんと向こうの方から近づいてくるようになります。それで、ラッキーと感じることが増えてくるのです。


人は、周りに誰もいなくなったとしても、無人島で一人になったとしても、どのような状況に陥っても、自分のすぐそばいるのは「自分自身」だけです。この自分は、必ずいつも自分のそばにいるし、もしも大嫌いで、離れたいと思ったとしても、絶対に離れてくれることはありません。


ですから、「まず、自分自身とのつきあいをよりよくしていかなければ、心の平安や心からのしあわせは訪れない」のです。


これが、私がトラウマ統合療法やインナーチャイルドを癒すということの大切さを世の中に広めようとする理由です。


あなたがあなた自身と親密な関係を築き、仲良くなっていかれることをお祈りいたします。




★セッションの現場から@  2014.8.15

今回は、今日のセッションでのことを書いていこうと思います。(クライアントさんには許可を頂いています)


このクライアントさんは、「お母さんから愛されなかった」ということをどこかではわかっていながらも、ずっと受け入れられないままでおられたようでした。


この方は、子供の頃よくしゃべるとお母さんがうるさいと言って、げんこつを入れられていました。イメージの中で、そうされていた3,4才のチャイルド(子供の自分)に大人の自分(クライアントさん)が触れてあげると、「げんこつを入れられるのは、しゃべる自分が悪いからだ」、「お母さんに迷惑だから、自分はいる価値がない」というその子の思いが伝わってきました。


もしかして、親からすれば、「そんなに強いげんこつではない」とか、「そこまで責めたつもりはない」と思っているかもしれませんが、どうしてげんこつを入れたのか、その思いがその子がちゃんと納得するように伝わっていないようなら、しっかりと納得をさせたり、そのことで、その子が少しでも不安や恐れを感じているようなら、その感情をなぐさめてあげる必要があります。


なぜなら、小さな子供はとても感受性が豊かで、無防備で、大人が思っている以上に周りからの色んなものを感じ取っています。その繊細な子供にとっては、このような出来事は、例えげんこつを入れられなくて「ちょっと、静かにしなさい」と言われただけだとしても、その子が自分の感覚で、「お母さんから大事にされていない」と感じた時には、心の傷となり、それが何度も続いていくと、それは重たい(重度の)トラウマとなっていくのです。そうやって、子供(人間)は、自分が感じた感覚や思いの中で生きています。そう、主観で生きているのです。


セッションでは、このお母さんを大人の自分の視点で見てもらいました。すると、「健全な子供ほど、たくさん表現するのが当たり前なのに、自分のお母さんはそれを聞いてあげることも受け止めてあげることもしなくて、お母さんには確かに愛情はあるけれども、でも・・・、お母さんは未熟だ」と感じました。そうすると、クライアントさんの中から気づきが起こりはじめました。


私は「自分のお母さんを理想のお母さんだと思い込んでいた」ということに・・・。


それに気づいてくると、つらいですがその人が置かれていた状況が認識出来てきました。「お母さんは、ありのままの自分を愛してくれなかった」この思いが、自然に心の奥からわき上がってきました。


小さな子供は、「受け入れてもらえていない、愛してもらえていない」という思いを感じるとつらくなるので、「これは、何でもないこと」とか「お母さんはほんとは優しい人なのでちゃんと愛してくれている」とか「よくわからないけど、自分が悪いからそうされるんだ」などと、この家の中で出来るだけ安心出来るように、安全に生きていけるように、ほんとうは感じているその思いを感じないように隠してしまうのです。そして、それは大人になっても、隠したままになっていることがほとんどです。


そうやって隠したままでいると、いくら頑張って仕事をしても、いくら頑張って人から好かれようとしても、そうすることで、例えよい結果が返ってきても、たくさんの人から好かれても、「もっと、もっと・・・」と、自分の心の中ではまったく満足出来ず、人から賞賛をもらうことを目的として生きるしかなくなってしまいます。


このクライアントさんが「お母さんは(ありのままの)自分を愛してくれなかった」と、そう感じてしまったその現実を初めて直視すると、「すごくさみしかった」という感情が、心の奥からあふれ出してきました。そうすると、まったく自然にそう感じているチャイルドの感情に共感してあげられて、その子を心から受け入れてあげることが出来ました。(インナーチャイルド統合療法では、このような心の奥深くにあったネガティブな感情が出てきたとしても、必ずクライアントさん自身で処理することが出来ます)


セッション終了後、「とても胸があたたかくて、すごい安心感を感じる」と表現されて、「よかった〜!また一人、根源的に楽になっていかれる!!」と感じました。


こうやって、多くの人が子供の頃に、原家族(特に強いものは母親)との関係の中で感じた、ほんとうの思いをその当時に感じてしまうと、生きることが苦しくなってしまうので、心の中に封印して、思考で大したことではなかったと思い込んでいっています。人間の生きづらさは、ここからはじまります。


この感覚は体験した人しかわからないところがありますので、うまく伝わるかどうかはわかりませんが、「自分が自分の心の奥にあるネガティブと感じる深い感情をありのまま感じることが出来たら、自然に今まで感じたことがないようなとても強い共感する思いが出てきて、自分自身をありのまま受け入れてあげることが出来る」のです。


自分が自分を受け入れてあげて統合すると、自分自身を心からいとおしく感じられ、人生を深い安心感の中で、本来の自分らしい姿のまま、自然体で楽に生きられるようになります。


世の中のとても多くの人が、子供の頃から、自分を守るために無意識のうちに、思考の防御の中に入り込んでしまっていますので、自分が体験してきたありのままの事実を認識しないようにしてしまっています。


過去の出来事の中で感じた思いや感情の処理が出来ないままで、終わったはずの過去を未だに引きずって、ほんとうに多くの人が無意識のうちに、その影響下から出られなくなって、過去の流れの中で生き続け、過去からの呪縛にはまっています。


人間は、現実を認めること、受け入れることで、はじめて、ありのままのその事実が見えてくるようになります。まず、現実・事実をありのまま受け止めることから、過去を過去と終わらせることが出来るようになり、そして、今現在を生きられるようになるのです。

今現在の積み重ねが未来へとつながっていきます。今この瞬間、我々にあるのは、今現在だけなのです。


あなたがありのままの自分として、今現在を心から味わい、そのすべてをありのまま体験して行かれることをお祈りいたします。


その経験が、魂の成長へとつながるのですから・・・。





★母親とのつながりの大切さ
  2014.6.10

「零戦(ゼロファイター)老兵の回想」(原田要著、桜の花出版)という本を読みました。その中で、兵隊さんが亡くなる時の記述がありました。


『死んでいく兵隊さんたちは皆、死ぬ間際には必ず「おっかさん」と言いました。大抵の独身の兵隊さんの最後の言葉は「おっかさん」でした。つくづく母親という者の存在の大きさを感じました。父親は家庭の総合的な責任者ですけれども、誰も「おとっつぁん」とは言わなかったですね。皆母親でした。』


『私も戦争中に、多くの兵隊さんの最期を看取りましたが、本当にみんな苦しがって、最後にその苦しい所を通り超していよいよ目を落とす時には、「母親に話してくれ」とか「おっかさーん」と言って息を引き取りました。


この時、私もそのような心境でした。「天皇陛下万歳」「大日本帝国万歳」などと言う人は、いたかもしれないけれども、その人はまだ死ぬ人ではないんです。ほんとうにダメな時は、「おっかさん」です。


だから私は、平和の原点は、母親がおっぱいを飲ませる、母親が愛情に満ちたまなこで子どもを見てる、子どもは一番信頼するおっぱいと母親の顔をじっと見てる、あれが平和の原点ではないかと思います。だから、私は世の中で一番きれいなものは、母子で顔と顔を見合わせている姿で、それが一番の平和の原点であり、美しい場面じゃないかとよく言ってしまうんです。


子どもがおっぱいを口に含みながら母親の顔を見ているのを、私もしょっちゅう幼稚園で見ているんですが、本当に子どもは安心して和やかそこいらで喧嘩をしている子どもの目とは違います。なんとも言えないまなこになっています。』


心理療法の現場からも、同じことがいえます。やはり、人間の心の安定の原点は、母親とのつながりなのだと思います。





★2014年年頭を迎えて
  
2014.1.1

新年、明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます


神戸から岡山の県北に引っ越してきて、ほぼ5年を迎えようとしています。ですが、今年はもう一度引っ越しをします。これが最後の引っ越しとなります。


私の実家がある生まれ故郷、岡山県玉野市に帰ることにしました。3月はじめには引っ越しが完了することと思っています。それに伴い、実家の横に離れを建築中です。小さな離れですが、二階のスペースを少しずつ何かに使えていけたらいいなあと思っています。


生まれ育った町で、もうひと働きして、自分の天命を全うしていきたいと思っているところです。


それから、昨年は不思議なご縁があって、自分の意志とは関係なくシータヒーリングのプラクティショナー(ヒーラー)になりました。習ってみると、自己ヒーリングとして抜群に使えるものだと実感しました。ただ、癒しを行う側としてのシータヒーリングは、これぐらいヒーラーの格差が激しいものは知らないと感じるほど、ヒーラーとしてのその実力と品格は驚くほどの程度差があるということもわかりました。


私にその実力と品格があるかどうかはわかりませんが、ありがたいことに、私はなぜか割りとうまく使えるようで、一部の人にインナーチャイルド統合療法の中で応用して使ってみると、心の奥を見ていくことに無意識のうちにも抵抗していた人が、シータヒーリングによってその抵抗が外れていって、しっかりとインナーチャイルドを癒して劇的に楽になった方が何人もおられました。


今年は、4月にシータヒーリングの教える側になるインストラクター講習を受けますので、今後ヒーラーとなるためのプラクティショナー講習も開きたいと思っています。

今、それ以外にも色んな構想を練っています。さらなる新しい流れに向かって、自分らしくどんどんと進んでいくだけです。


今年が皆さんにとられましても、よりよい年となりますことをお祈りいたします。






★2013年の終わりを迎えて
  2013.12.31

早いもので今年も終わろうとしています。年々、時間の過ぎ去る感覚がとても早くなっているように感じています。


私にとって今年は、近年にない新たな経験の年となりました。そして、それは直感で感じた通り私にとってはしんどいと感じる一年でした。毎年、年の暮れには、次の年がどのような流れになるかを感じていて、ほとんどその直感通りとなります。そこに焦点を当てないように、出来るだけ意識をそらしていましたが、今年はなんだか年回りがよくないと感じていました。


占星術などでも年回り、周期のことが出てきますが、人間にはリズム、周期の流れが確かにあります。活動する時や動かずに静観しておく時など、季節に四季があるようにその時その時の過ごし方があることを今更ながら体感しました。何となく感じるその年の流れという感覚も大事にして、感じたことには従える時には出来るだけ従うべきですね(^_^;)


今、来年を感じてみると、来年後半からはよりよい新しい流れに乗っていけるように感じています。そのために、前半は出来るだけ静観して、自分の内側としっかりとつながっていきたいと思っています。


それから、今年は、第一回のセラピスト養成講座を開きました。その中で、今の若い人の心の状態や時代からの影響、家庭や社会での教育からの影響、また、教えるという立場について等々、たくさんわかったことがあります。そういう面においては、実りの多い一年でした。来年は、これをしっかりと生かしていこうと思っています。


今年一年、出会わせて頂いた皆様、ありがとうございました。


皆様、どうぞよいお年をお迎え下さいませ。





★好きな仕事をしている人は素直な人が多い  2013.10.25

私の個人セッションを受けて下さるクライアントさんは女性の方が圧倒的に多いですが、このところ男性の方も増えてきました。


実は、今までは男性の方は、(「泣いてはいけない」という教育の影響だと思いますが)心がガチガチで自分の内側を見て感じていくことが不得手な人が大変多くて、私自身も男性のクライアントさんは心の奥になかなか焦点を当ててくれないので、クライアントさんとして接することが苦手なところがありました。


ただ、最近来られる男性は、普通の男性が見ていくことがなかなか出来ない心の奥にアプローチが出来て、劇的に変化していかれる人が増えています。


ここには、私自身の個人セッションの技量が一年前と比べても更に上がってきたということを自分でも実感していますが、それ以上に来られている男性クライアントさんの資質による影響も大きいと感じています。


その資質とは、「好きなことを仕事にしている人」であるということです。自分が好きな仕事をしている人は、ありのままの自分のよろこびや「自分の心の奥のほんとうの思い」を感じやすい人なのです。


好きな仕事をしている人は、よい意味で自分に「素直」な人が多いといえると感じています。

なので、セッションで、ただ忘れようとするだけで過去からずっと処理をしてこなかったネガティブな思いや感情に焦点を当てるお手伝いをさせていただくと、その人自身が素直にありのままの自分の心を感じて見ていかれます。(ありのまま感じられた思いや感情は、解放してすべてきれいに消えていき、そこからの影響がなくなってしまいます。心とは、そのようなものなのです)


私の経験からも、世の中では好きな仕事をしていない男性(人)が大変多いなあと感じています。


自分の中の「好き」を押さえてしまうと、自分が自分でなくなってしまいます。


自分の中の「悲しい」を押さえてしまっても、自分が自分ではなくなってしまいます。


ほんとうの自分を生きるには、自分の心の中心のありのままの思いや感情を感じることです。


それが、生きているという実感につながるものでもあると感じます。


そして、話が突然変わりますが、視聴率がとても良かったドラマの『半沢直樹』は自分がしたいと思う好きな仕事を選ぶという選択をしませんでした。彼は父親に融資してくれなかった銀行を復讐のために職場として選んだのです。当然のこと、「戦い」のための選択をすると「戦い」がたくさん起こりはじめます。それは、戦いに限らずあらゆることに当てはまります。


最初の動機が『純粋』であれば、自分の思いや自分に寄ってくるものも、自然と『純粋』なものとなります。


ほんとうは、すべての選択権はあなた自身にあります。


実は、あなた自らが潜在意識からも顕在意識からも、すべてを選んで選択しています。


大事なことは、まず何を選んでいるのかに気づくことです。


あなたは、あなたのその人生で何を見て、何を体験したいと思っているのでしょうか・・・。





★アカデミックの呪縛  2013.6.11

先日お会いしたある専門職の方から、知り合いのものすごく仕事が出来る数名の方が自殺されたということをお聞きました。心よりその方々のご冥福をお祈りいたします。


不謹慎かもしれませんが、大事なことなので今回はこの流れからのお話しをさせていただきたいと思います。お聞きして私が感じたことは、この方々は、挫折を知らなかったのではないかと感じました。子供の頃からずっと「出来る子」で来ていて、ほとんど失敗らしい失敗がなくて、逆にやればどんどんと出来た優秀な方々だったと感じました。


しかし、それでも、その方々の心の中では、どこかに「出来る自分」に成り続けるしんどさや不安がありますが、それを感じないように打ち消すように、自分の存在理由を確認あるいは証明するためにがんばり続けてこられたのだと思います。


でも、とてもつらいことですが、このがんばりは一生続けることは出来ません。いつか、それをやめる時(出来なくなる時)が必ず来ます。


それをやめる時は、「出来る自分」をあきらめ、その役割で生きることをやめて、「ありのままの自分」で生きる時です。人生の大きな転換期です。それは、生まれて初めての転換になります。いつか迎えなければならないこの移行が、よいタイミングでうまく出来ればいいのですが、うまく出来なかったり、転換することに抵抗すると人生がさらに苦しいものとなってしまいます。


私が提唱しているトラウマ心理学では、こうお伝えしています。


『多くの人が「自分を好きです。ちゃんと愛していますよ」といわれますが、セッションで心の奥深くを見てもらうとその人の好きなところは、勉強が出来たり、物事がきちんと処理できたりする「出来る自分」だったりしています。


この場合、「出来る自分」は受け入れて認めているのですが、そうではない「出来ない自分」は受け入れられずに嫌いでいます。ということは、自分のいいと思っているところ(長所)を受け入れているだけで、悪いと思っているところ(短所)は受け入れて認めていないのです。


そうすると、「出来る自分」になる(でいる)ために、一生その役割、そのやり方を続けなくてはならなくなります。トラウマ心理学では、これを「アカデミックの呪縛」と呼びます』


セッションを通じてたくさんの方々にお会いして、セッションが一番難しいパターンが、このアカデミックの呪縛を持った方々でした。


これは、「出来ない自分」(「出来ないかもしれない自分」)を見る、認めるという自分の弱さを受け入れることに抵抗している状態、自分の弱さを受け入れることに恐れを持っている状態です。人によってそれぞれ形は違えども、このような「恐れ」を人間はみんな持っています。私もそうです。


前々回の記事「見えるということ、聞こえるということ」でご紹介した番組の中で、日本で初めて盲ろう者で大学教授になられた福島智さんがこうおっしゃっていました。


『人間が生きていること自体、物凄い奇跡的なことなので、(自分が生きていることの)意味がないんだとすれば、そもそも人間全体にも意味がないと、そう考えたら、どんな状態でも意味があるんだと思います。辛いことを我慢する必要はないんです。その辛さは凄く大切な辛さ、それを通り抜けたらもっと弱さを出せる人になると思います。弱くていいんです』


『弱さ』を持っているありのままの自分をただ受け入れ、認めていくこと・・・。

『恐れ』を持っているありのままの自分をただ受け入れ、認めていくこと・・・。

そして、その自分をただ許していくこと・・・。


アカデミックの呪縛に限らず、皆様が必ずいつか通ることになる転換期を自分のペースでスムーズに通り抜けられるようになることを心よりお祈りいたします。





★自分のほんとうの思いをわかって選択する  2013.4.17

私が提唱している『トラウマ心理学』では、「過剰に反応するところにはトラウマが隠されている」とお伝えしています。


先日、クライアントさんからお聞きして、あるアジアのサウンドヒーラーの方の音楽をネット上で聴きました。きれいないい音楽ですが、エネルギーの流れを上へ上へと上げていくようなものでした。


過剰に上にばかりフォーカスすると、気が頭の方に上がって、地に足がつきにくくなってしまいます。いい音楽でいいエネルギーなのですが、例えば、プラス(+)とマイナス(−)という表現でいうと、+の方ばかりに片寄っている状態だと思いました。


地球では、+と−で一セットになっていますから、片方ばかりに片寄ると、当然バランスが崩れてしまいます。二極のバランスをとることは、とても大切なことだと日々実感しています。


今、セラピーにしろ音楽にしろ本にしろ、様々な分野でほんとうに色んなものが出てきています。選択肢が多いのは、色々なタイプの人に対応が出来るので、とてもいいことなのですが、選ぶ人にトラウマがあると、気づかないうちに、逃避のため、自分の中の問題や課題から目をそらすために、上へと意識を向けるようなものを選んでいる場合が結構あります。


昨年末から人の流れが変わっていて、自分の内に向き合う人と向き合わないようにする人の二つのタイプに大きく分かれ出しました。


私には、どちらがいいとか悪いとかいう権利はありませんが、ただ一つお伝えしたいことは、逃避する人は「逃避したい」と思っていることをわかりながら、逃避を選ばれていたらいいなあと思います。自分が自分の思いを理解しながら、選択したことは、それはその人にとっての紛れもない「正解であり、真実である」からです。でも、わからずに選んでいると、それは「トラウマからの選択」になってしまいます。


私も、日常のすべてのことに対して、自分のほんとうの思いを感じ理解しながら、自分で自分の流れをしっかりと選択をしていきたいと思っています。





★左脳は「とりあえずの安定」を求める  2013.3.31

ブログに右脳と左脳についてのことを書きました。その記事の中に、『「左脳は、断片的な情報から、自分が安心できる、またはもっともらしい結論を出したがる」ということです。結論を導くのに必要な情報が十分にある場合はよいのですが、不十分で断片的な情報しかない場合、左脳は、なんとかつじつまが合う結論を導き出そうとします。しかも、その際、なるべく少ない情報で結論を出そうとします。左脳は、不安定な状態を極力排除しようと働くもののようです』と書きました。


これに関したことで、テレビなどのアナウンサーは、読んだニュースの内容を後で聞かれると、暗いニュースのことはよく覚えていなくて、明るいニュースだけを覚えていることが多いといいます。


もう一つ。人間は、とりあえず身の危険がない状態で、自分がまったく想像もしないような出来事に出くわすと、その出来事を受け入れられなくて、見たことを覚えていないようにする性質があるようです。


これが、不安定な状態を出来るだけ排除しようとする脳の一つの特性ですが、その根底には、元々その人の心の中に「安心感の欠如」が隠されているのだと感じます。安心感がないから、過剰に不安要素を排除しようとするのです。


アナウンサーの例でいえば、不安や怖れがある安心感の少ないアナウンサーほど、忘れるという傾向が強くなるのだと思います。


もう一つの想像もしないような出来事に出くわした例でいえば、自分の中で受け入れたくないことがあり、それを認めずに受け入れないようにしてきた人ほど、見なかったことにしてしまう傾向が強くなるのだと思います。


これは、脳がとりあえず不安定にならないために防衛システムを働かせている状態です。

先日は、ある助産師の方にお会いしました。出産現場のお話をお聞きさせていただいて、とてもびっくりすると同時に、「あ〜、やっぱりなあ」と感じました。


お話しでは、ここ2,3年ぐらいで妊娠七ヶ月での死産が多いそうです。また、生まれてもお乳を飲もうとしない赤ちゃんが多いそうです。それは、生きようとしない状態であるとおっしゃっていました。その方もいわれていましたが、私もおなかの中で母親が胎児に思いを送れなくて、意識をあまり向けないので、その状態になるのだと思います。


意識を向けない原因は、母親がスマートフォンなどに一生懸命になることだといわれていました。ここ2,3年というのは、スマートフォンの普及率が上がっている時期と重なります。


そして、なぜここまで普及して、没頭してしまう人が多いのかというと、トラウマやストレスなど現実から逃避をするためだと感じます。この先生もいわれていましたが、自分にもおなかの子供にも、向き合おうとしない母親がとても多くなったと嘆いておられました。

(私は危惧します。最近、人々が自分に向き合い楽になっていく人と、さらに逃避を続けてしんどくなっていく人の二つのタイプに分かれてきているのをすごく感じます。そして、その割合は逃避をする人の方が大変多いのです)


左脳の防衛システムで逃避をすると、逃避するための心地のいいものを強く求めるようになり、左脳はコントロールや洗脳を受けやすい状態になっていきます。


実は、この脳の特性を利用して、人の意識をコントロールしようとするものが世の中にはたくさん存在しています。ある意味、スマートフォンやゲームなども、人間がものを考えないようにするために、意図して作られているいるものの一つではないだろうかと感じます。


こういったものからの影響を少しでも受けないようにするためには、心は脳にあるという脳神経学者さんも多いですが、ほんとうはそうではなくて、心は胸の所、ハートにありますから、この「自分の心(ハート)がただただ純粋によろこんでいるかどうか」を感じるようにすることもいいと思います。


スマートフォンやゲームに没頭していて、ほんとうに純粋に心はよろこんでいるのか・・・。それを、客観的に感じるのです。


ただただ純粋によろこんでいる時には、心配や怖れがありません。日常でも、○○だからこうすると思っている時には、○○から逃げたり、○○を変えようとしている時です。そこには、心配や怖れが潜んでいるのです。


この心配や怖れの思いが、洗脳を受けやすい状態を作り出していきます。そして、それを作り出す元となっているものがトラウマです。人間(子供)は、過剰に不安を感じた時に、トラウマを負うのですから。


どうぞ、ご自分が何に、ただただ純粋によろこびを感じるのか、その感覚を感じられるようになって下さい。


自分の心を感じることが出来るようになると、ほんとうは自分がどうしたいのか、どうなりたいのかがわかるようになりますよ。


心から、赤ちゃんや子供たちが傷つかない社会が来ることを望みます。そのためには、お母さん、お父さん、大人たちが心から安心できるようになることが大切です。


左脳の逃避としての安定ではありません。とりあえず心や気持ちを安定させるものでもありません。まず、『 自分の心の中 』を根本的に安定させて、安心させること。それが安定した子供たちをつくる、よりよい社会をつくる出発点なのです。


すべての命が、平安でありますように・・・。





★2013年の年頭を向かえて  2013.1.1

新年明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます


私は、この仕事を始めてから今年の4月で丸15年になります。一生懸命、命懸けでかけてきた15年だと感じています。


昨日も書きましたが、今年からいよいよインナーチャイルドの癒しの普及、啓蒙活動の開始です。この仕事の次のステップの始まりです。


でも、私は一直線バカなので、これと思うと一生懸命まっしぐらに進んでいく気質がありますから、できるだけ力を入れ過ぎずに、楽しみながら進めていきたいと思っています。

それから、今年は皆様の元へ情報がタイムリーに届くように、メールマガジンを発行することにしました。今、作成中ですので、出来ましたらまたお知らせさせていただきます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


今年が、あなたにとって、よりよい年となられますことを心よりお祈りいたします。





★2012年の終わりを迎えて  2012.12.31

今年も終わりが近づいてきました。


今年もこのブログをお読みいただきまして、ありがとうございました。


今年は、マヤ暦のことなど色々と取り沙汰されていましたが、何事もなくてよかったですね(o^-^o)


私はなんだかさらにどんどんと直感が鋭くなってきていて、色んなことを感覚で拾っているようです。元々、子どもの頃からちょっと特殊な感覚があったのですが、この仕事を始めてから、たくさんのクライアントさんの心の一番奥を意識全開にして、見させていただいてきたので、それがさらに強くなったのだと思います。


また、この一、二年は、自分の中に残してきたトラウマにアプローチして解放しているので、解放すればするほど、どんどんとその上に強くなっている感じがします。


やはり、心の中で処理がされないままであるものが処理できると、本来持っているものが自然に表に表れてくることを身をもって体験しています。クライアントさんからも、インナーチャイルドを癒すことで、いい意味で直感や感覚がとても鋭くなったというお話をたくさんお聞きしています。


ただ私の場合、時に、意識を開きすぎたままで、人混みの中に入ってしまうと、人の心の中の色んなことがわかってしまったりもするので、しんどくなることもありますが、この力もうまく活用していきたいと思っています。


それから、私は自分の内面や心の持ちようがどんどんとシンプルになって、子どものようになってきています。もう自分の中に隠すものがないので、自分をそのまんま自然に表現することがとても増えました。ほんとうにくそ真面目だった昔の私では考えられなかったことです。


この間は妻のコンサートに久しぶりに参加して、そこでお会いさせていただいたある方には、「大賀さんは、12,3歳の少年のようですね」といわれました。私にとっては、とてもうれしい表現をいただけました(@^∇^@)


年齢を重ねても、心の内には純粋な子どもの感覚をしっかりと持っていたいと思っています。


クライアントの皆さんもそうですし、私自身もとても楽に生きられるようになれたこのインナーチャイルドを癒す作業ですから、必ず世の中の人みんなもこの手法で楽にしあわせになっていかれることを確信しています。


来年はインナーチャイルドを癒すことの普及、啓蒙開始の年だと思っています\(○⌒∇⌒○)/


世界中のすべての人がしあわせになられることをお祈りいたします。


そして、あなたのおしあわせをお祈りいたします。


どうぞ、よいお年をお迎え下さいませ。





★昔の失恋体験から  2012.12.2

若い頃失恋した時に、一つのことに気づきました。


その時、失恋した「さみしさ」をぬぐい去ることができなくて、ずっとさみしさを感じていました。そして、2ヶ月近くたった頃だと思います。さみしくてしょうがない時にあるイメージをしてみました。


なぜそんなことをしようとしたのかは忘れましたが、さみしさを感じている自分を上の方から見てみようと思いたちました。


ベットの上に座っている状態から、自分の別の視点が体から抜け出して上へ上へと上がって、屋根よりも上の方から座っている自分を見るイメージをしました。


まったく遊び半分で始めたことですが、そんなイメージをしてみると、びっくりすることに「自分がどのような状態にいて何を思っているのか」が突然はっきりとわかったのです。

「自分は失恋に至る出来事の経過についてはもう整理がついていて、さみしさも十分味わった。でも、自分自身がどこかでこのさみしさに浸っている、自分から浸ろうとしている」という自分の意志が急にわかりました。


それがわかって、「そうか!自分が感じたくて浸っているんだ。じゃあ、さみしさを積極的に感じたらいいんだ」と自然に思いながら、ベットに座っている自分に戻るイメージをしました。


戻ってみると、さっきまであれほどさみしかったのに、そのさみしさがウソみたいにほとんどなくなっていました。完全には消えてはいませんでしたが、少し残っているさみしさも自分から「浸っていよう」と思っていることがわかったので、さみしさを感じる感覚が急にコントロールできるようになっていました。


驚きました(*゚Д゚*) この間、5分も経っていなかったと思います。


この時期は、自分が今のような仕事をしようとも思っていない時でしたが、人間の意識の不思議さに気づいた出来事でした。


人は、他の人のことは客観的に見ているので、いろんなことがわかりやすいですが、誰でも、こと自分のことになるとわかりにくくなります。


それは、自分を客観視できないからです。そういう意味でも、自分や子供の頃の自分をイメージで客観視するという今の手法は、改めて理にかなったとてもよい方法です。


そして、自分がどうしたいのかという思いも、思考や心の表面ではなく、心の奥にある『自分のほんとうの思い』に気づくと、納得ができて、途端に自分の思考や心を自分自身でコントロールすることができるようになります。
(自分を客観視するというイメージ法は、すべてのセラピーの中で応用していかれるといいと思います。そうすれば、更に劇的な効果が上がりますから)


人間は、無意識のうちにも、自分が体験したいことを自分自身で選んで体験しているのです。この無意識の選択を意識してできるようになれたら、人生は思いのままに変えられるようになり、自分が生きたい人生を生きられるようになります。


私は感じます。もう、人間が生きたい人生を生きられるようになる時代になりました。


あとは・・・・・・、
『そうしたい』と思った人が、自分の心の内側に向き合って、整理していけばいいだけです (´∀`)/





★代替医療ミーティングに参加して  2012.10.9

先日、民主党のある衆議院議員を迎えての代替医療についての話し合いの場に参加してきました。


その代議士さんは、政府主催の代替医療を近代西洋医療と組み合わせて「統合医療」として立ち上げる検討会に関わっていて、その予算も計上できる財務大臣政務官という役職に就いていると話されました。


ミーティングでは、経験の多い治療家10人が発表をしました。私も要請を受けて心理の方からの発表をしました。


ただ、発表時間があまりにも短かったので、インナーチャイルドを癒すことの重要性をわかってもらうことはできませんでした。


そもそも、いただいた資料を見ると、統合医療のあり方に関する検討会の「近代西洋医学と組み合わせる療法」の中には、心理療法は一つも含まれていませんでした。医療の分類という欄には、「心に関するもの」という記述さえありませんでした。


前から感じていることですが、心を癒す分野はとても重要な分野なのですが、他のどの分野よりも一般社会からは認められにくい分野です。今現在では、カウンセリングは認知されていますが、他の心理的手法についてはさっぱりです。カウンセリングについても、参加されていたある医師は、保険適用でいくと診療報酬点数は500点(5000円)しか適用にならないので、カウンセリングをすればするほど赤字になるんですよとおっしゃっていました。


私は私の分野ではこう思います。体のことでいいますと、「ありのままの自分を愛する」ことができると、心が楽になりポジティブになって免疫が上がります。心が満たされるので、過食をしたり、嗜好品を摂取する量が劇的に減ります。心の中に抑圧したものがなくなり、感覚が繊細になることで、ほんとうは自分が何を欲しているのか自分の心の内がよくわかるようになるので、適切な時に適切なものやことができるようになります。自分にとって何がいいか悪いかが自然にわかるようになります。これは、予防医学という分野にも相当すると思います。


そしてまた、親が「ありのままの自分を愛する」ようになると、子供は全く自然に、自分も周りも大事にする心の安定した、自分の個性を全面に発揮できる子なります。そうすれば、いじめ問題などなくなってしまいます。


そういう意味では、一般社会に対してのインナーチャイルドを癒すことの大切さを啓蒙していくということでいえば、教育の現場から広げていくことの方が早いと個人的には感じています。


今回の集まりは、私は私の立ち位置で、自分がよろこんでできることをただ純粋に行っていきたいという思いを新たにさせてくれたよい機会でした。


かなり久しぶりにお会いした同じ志を持った同士の方にもお会いできて、とてもうれしい機会でもありました。


自分がありのままの自分として今現在に生きて、よろこび楽しみながら、世の中のお役に立たせていただこうと思っています。





★「ありがとう」「ごめんなさい」
  2012.8.21

出張中に目にした、日めくりカレンダーの言葉が心に入ってきました。


子どもの頃はもっと素直に

「ごめんなさい」とか「ありがとう」と

言えたときがあったはず。

だから人からたくさんの

笑顔をもらっていたんです。


「ありがとう」はどんなにたくさん口にしても、伝える方も伝えられた方も心地がいいですね。でも、何度も過剰に「ごめんなさい」といわれる人は、自分の価値観を落としている人の場合が多いと感じます。その方は、「ありがとう」と伝えるべき状況の時にも、「ごめんなさい」といってしまいます。


伝えたいと思った状況で、心の奥から浮かぶありのままのほんとうの自分の言葉を、そのタイミングで伝えることが出来たらとても心地いいですね。


今という瞬間をそんな心地のいい感覚で、たくさんたくさん満たしていくと、自然に世の中は平和になると思います。






★出ようとするものは
  2012.8.5

あるクライアントさんが教えて下さいました。


幼稚園に通っているその人の子供さんは割りと泣くことが多いそうです。お家では、泣いた時には自然に泣きやむまで、しっかりと泣かしてあげています。


そうすると、この子は「普段はとても元気に過ごす」そうです。


ただ最近、よく泣く事があるので、幼稚園では「少し泣かないでいられるように、強くなれたらいい」という配慮で、この子が泣いていると『3、2、1、ハイ!』というかけ声で、泣きやむように促しはじめたということです。


そうすると、この子は次第に「元気をなくしていったんだ」とお伝え下さいました。


小さなお子さんをお持ちの方は、その子がいつまでも泣いて困ると思っていても、とにかくその都度その子が泣きやんで落ち着いて満足するまで泣かせてあげて下さい。


出ようとするものは、出るにまかせて出させてあげて下さい。


そうすれば、この子は必ずだんだんと泣かないようになります。そして、何よりも大切なことは、そばに寄り添いながら出させてあげると、この子の心の中に安心感がどんどんと増えていき、しっかりと満たしてあげられると、それはもう消えることなく一生心の中に定着していきますよ(^_^)/~





★不安の種  2012.9.7

私が住んでいる地域では、夏休み期間だけ夕方になると放送があります。


『よい子の皆さん、6時になりました。お家の方が心配しています。早くお家に帰りましょう』


私はそれを聞くたびに思いました。「それって、『お家の方が待っています』でいいんじゃないかな?」と・・・。


心配していますという言葉は、ともすると子供が不安な思いを感じますし、「親が心配するから心配させてはいけない」という過剰な思いも持たせてしまう可能性があります。


改めて、周りを感じていますと、日常にはこのような「不安の種」がたくさんあります。


毎日、新聞やテレビでも、不安になるような表現をたくさん見聞きします。


まだ起こっていないことを心配して、そちらに意識を向けすぎると、今を平穏に過ごせなくなってしまいます。また、共鳴の原理でも不安なことが引き寄せられてきたり、とにかく不安なことばかりが目につくようになってしまいます。


今の現状を知るということは大切なことですが、ネガティブなフィルター越しに今の現状を見てしまうことで、多くの人が物事をネガティブに捉えて、そちらに意識を向け過ぎているように感じます。


例えば、もしも家の中で家族との問題があったとしても、家から離れている時には、その今の瞬間には何も起こっていないのですから、何も起こっていない今この瞬間の穏やかさをできるだけ感じられると心は平安へと向かっていきます。


問題が目の前にない場所にいる時も、今のこの瞬間にはない問題を感じていると、「ものすごく大変だ〜」という不安な思いをその出来事からのもの以上に感じて、それはどうすることもできないとても大きな大変なもののように思い込んでしまうようになります。これが、頭(脳)の特性です。


(問題が起きている時には、色々と大変だと思いますが、)問題には、できるだけそれが目の前にある時(あるいは問題への思いがどうしてもぬぐい去れない時)に、その時に向き合い対処するようにされるといいと思います。


『 あなたは、自分から今この瞬間にはないはずの「問題とその不安」を引っ張ってきていないでしょうか? 』


もしも、引っ張ってきているようでしたら、意識を今に持ってくると、見えなかったものが目に入りやすくなりますよ。


街中に住まれている方も、目に入る草花や木、大きな空に目を向けてみてください。自然はとてもきれいです。


ほんとうにうれしいことに、地球はとてもとても美しい星です。





★「いじめ」問題についてのインナーチャイルド的視点からの考察
  2012.7.25

このところマスコミでも「いじめ」問題が色々と取り上げられています。


亡くなられた子供さんたちのご冥福をお祈りいたします。


様々な家庭環境を過ごした子供が、どのような精神状態になっていくかという、とてもたくさんのパターン例を見させていただいた経験から少し「いじめ」問題について書かせていただきます。


★子供側から
「いじめ」の発端は多くの場合、子供らしい「からかい」からはじまることが多いのではないかと思います。それが次第にエスカレートしてきた時に、『もう止めて』といえて、自分がイヤだと感じていることをしっかりと意思表示できた子は「いじめ」にまで発展しにくいと思います。しかし、ほんとうはイヤだけどイヤといえない子は、表現しないから相手もそれがよくわかりませんから『大丈夫なんだ』と思われ、イヤと表現できないおとなしい子程その行為はどんどんとエスカレートしていきます。


このおとなしい子は、ほとんどの子が『自分はダメな子』という感じで、自分の自己価値観を落としてしまっています。だから、「恐い」という思いはありますが、その奥には、自分には価値がないと思っているので、表現することさえも自分に許さずに、抵抗することさえもあきらめて自分を投げやっているのです。


そして、その子が我慢して引けば引くほど、相手はどんどんとエスカレートして過激な行為に出てくるようになります。(弱いと感じる相手をいたぶるような行為は、大脳生理学的にいえば、脳幹である爬虫類脳から出てくる感情というものがない冷血動物的な部分が反映しているように感じます。これは脳の機能ですから、すべての人間が潜在的に、心としてではなく脳の思考としてこの性質を持っていると感じます)


いじめられている子供は、出来れば出来るだけ早い段階で、イヤだという自分の意志を表現しなければいけないと感じます。初めは聞いてくれなくても、とにかく何度も表現をしていると、『面倒くせ〜ヤツ』という感じで相手が引きはじめると思います。我慢すればするほど、その行為はどんどんとエスカレートしていきます。イヤであれば、表現して抵抗することが大切です。


これは、程度の差こそあれ、夫婦間などでもよく起こることです。例えば、結婚前に嫌われたくないために、ほんとうはイヤだけど何をいわれても我慢していた女性は、男性から見ると『あ、この人はこういう表現をしても気にしないんだ。大丈夫なんだ』と思いこんでしまわれて、結婚後も我慢して表現しないその期間が長いほど、次第に旦那さんに自分のテリトリーをどんどんと侵略されて我慢しないといけない肩身の狭い思いをしはじめます。


こういう奥さんがインナーチャイルドを癒して自分の価値が上がって、怒りからではなく自分がほんとうはどう感じていたのかを心から表現しはじめたら、『あれほど自分勝手だった旦那がいうことを聞いてくれるようになりました』という報告はほんとうにたくさん聞いてきました。


自己表現をしなければ、他人は自分の思いに気づいてくれないのです。黙っていればわかってくれるということはほんとうはありません。そして、表現できないというその奥には、自分が自分自身に対する思い(自己価値観、自己イメージ)が反映しているのです。


★親側から
『親に心配をかけてしまうからいじめられていることを黙っていた』という子供の証言をよく耳にします。普通はこれを「親のことを思うやさしい子」ですまされてしまいますが、でもこれは、『親がすぐ心配をする弱い親だ』といっていることと同じなのです。


ほんとうに頼れる親であれば、子供は必ずすぐに親に表現をして助けを求めます。親から自分が満足する形の愛情をもらっている子は、自殺をしようと思う程悩んだとしても、死のうとする前には必ず親に表現をして助けを求めるのです。子供を守るという思いからきつい表現になってしまいますが、子供が自殺をするということは、親がその子と心からつながっていなかったということです。


そして、子供はどの子も必ず親が守ってあげるべき受け身の存在ですから、まず親がはじめに子供が自分の方に心から近づける入口をつくってあげなければなりません。親がこの入口をつくってあげていないと、子供は絶対に自分の方から親の内側に入ることが出来ません。子供は受け身ですから、親の方が子供の心に寄り添って、『いつでもここに入ってきたらいいんだよ。必ず守ってあげるからね。愛しているよ』と入口を開けてあげるのです。


ですから、状況を考えずにむやみに『あなたはしっかりしたいい子だね』、『何でも一人で出来る大丈夫な子だね』などと、いわないようにして下さい。親からの愛情をあまり感じられていない子供はそういわれると、『しっかりしなきゃいけない』、『助けを求めずに一人でやらないといけない』・・・と、まじめでやさしい子ほど思いこんでしまいます。

どの親にも必ず、しっかりと子供に対しての愛情はあるのですが、それを子供が安心できるようにうまく伝えてられていないように感じています。


以前テレビで、教室からの放送で一クラス全員が出演している番組を見ました。この子たちに、司会者が『お父さん、お母さんが好きな人は?』と質問すると、クラスのほとんどの子が手を挙げました。『では、お父さん、お母さんのことをどう思う?』という質問では、質問を受けた子はみんな『親がかわいそうだから、あまり色んなことをいえない』という感じのことをいっていました。


ということは、何かというと、この子たちがいっている心の奧の表現は、『お父さん、お母さんは弱い人だから、こっちが気にして助けないといけない』といっているのです。


なんということでしょう!


実は、それだけ親が弱くなっているのだと感じます。ここには親自身が心の中に傷を残したままで安心感がないから安定しなくて、これを子供たちは感じてそう表現しています。親の不安を感じて子供が親の心配をするのです。


どうぞ、どうぞ、お父さん、お母さん。あなたが親として強くなって下さい。強くなれないのであれば、あなたの不安を出来るだけ子供さんには見せないであげて下さい。親として子供を安心させてあげて下さい。ほんとうの意味で守ってあげて下さい。子供を子供として、いさせてあげて下さい。子供時代を安心して、しっかりと子供として過ごせなかった子は、安定した大人にはなれないのです。


そして、この子供たちが次の日本を背負っていく大人になります。


子供たちが子供らしく無事で過ごせますように。
あなたとあなたの子供さんのおしあわせをお祈りいたします。





★『聖』と『濁』、『正』と『悪』  2012.11.8

このところ、ふと自分の観念や思いこみに気づいた時には、ノートに書き出して文章化して、改めてその整理をしています。


最近出てきたものは、「トラウマに気づかないことはよくないこと」、「よりよく変わろうとしないのはよくないこと」というものでした。


このあたりの思いは、私のような仕事の同業者の方の多くが知らず知らずのうちに持ってしまっている観念ではないかと思います。


ただこれは、「トラウマに気づき、変わろう」と思い自分を癒すと、人が生まれ直したように、生き直したように、劇的に楽に生きられるようになることを自分の経験からも多くのクライアントさんが目の前で見せて下さった経験からもはっきりとわかっているがために、出てきている観念でもあります。


しかし、この思いはそれが過剰になると無意識のうちに、『人生を自分らしく心地よくしあわせに生きることができる』のに、そうしようとしない人へのジャッジへと変わることもあります。


私の場合、この思いの奥には、人は「『聖』、『正』であるべき」、「清く正しくなければいけない」、「ちゃんと道をまっすぐ進まなければいけない」という観念があることがわかりました。


そしてそれは、「道にそれずにすくすくと育ってほしい」、「正しい人間でいてほしい」という母親の思いや雰囲気、その言葉から刷り込んだものであることに気づきました。


それでも今までは、この観念があることで、正しいと思われる道、まっすぐな道へと進むことが出来ました。私は、この思いに感謝しています。


しかし、『聖』と『正』の思いが強くなり過ぎてしまうと、『濁』と『悪』を過剰に否定する思いが出てくるようになります。そうすると、それとの戦いがはじまってしまいます。これが過去の戦争の歴史の一つの要因だと思います。


この世は、陰と陽、プラスとマイナスで成り立っていますから、自分の中にある『濁』と『悪』を認めて、ありのままそのまんま受け止めて、受け入れてあげました。ありのままを受け入れていくと、『濁』も『悪』も安心したように溶けていきます。


これは、不良になった子供をどんなことがあっても信じて、見守って、その子のありのままを受け入れてあげると、その子は更生して本来のその子に戻っていく・・・、心の内側の作業もそのこととまったく同じなのだと感じました。





★人間の心的活動のバランスをとる鍵は「感情」である  2012.11.16

先日、ある本を調べていて、たまたま興味深そうな別の本を見つけました。


レナード・ジェイコブソンという著者の『「今この瞬間」への旅』です。私は手元に本が増えてしようがないので、まず図書館で借りていますが、この本はなかったので著者の別の『沈黙からの言葉〜スピリチュアルな目覚めへの招待状〜』というものを借りて読んでみました。いずれもナチュラルスピリット発行です。(また、『「今この瞬間」への旅』も読んでみようと思っています)


内容もよく知らずに借りましたが、常々、私が主張していることと同じようなことが書かれていました。


前書きからの抜粋。

『今、マインドの束縛から目覚めるときです。この瞬間にあなたがより一層、存在するようになってやっと開かれる、あなたの内に存在する真実を見るときがやって来たのです。あなたを自由にさせるのは真実です。どうか、真実だけを求めてください。』(マインド:過去のすべての経験、記憶、概念、観念、信念と、未来の想像、希望、夢、願望が保管された意識の状態)


本文からの抜粋。

『 悟るとは

あなたは暗闇の中にいます。

なぜなら、人生の大半を無意識的なレベルで生きてきたからです。

嫉妬、欲深さ、非難、罪悪感、怒り、恐れ、恨み、不安、不相応感を、あなたは頻繁に、無意識に体験しています。

内面に存在するこれらの感情を受け入れたくないと深く埋め込んでも、消えるわけではないのです。

(中略:以下・・・で示す)それらの感情が抑圧され、無意識のレベルで経験されている限り、あなたは暗闇の中にいるままでしょう。

・・・意識的にそれらの感情を体験して、認識するために表面化させると、あなたは内面の暗闇の部分に光をもたらします。

罪悪感、嫉妬、所有欲を表面化させると、あなたは内面の暗闇の部分に光をもたらします。

その闇の部分にあるものが何であれ、誰にも責任を負わせることなく、無条件の愛と許容を持って、より一層、闇を表面化させると、あなたの闇は徐々に消えていきます。

悟るとは、残された闇はもうないということです。

・・・悟りとは、闇が完全に消える日まで、無意識的なマインドの闇から湧き起こったあらゆることを、意識的な光へと浮上させることを続けるプロセスなのです。 』


『 目覚めへの鍵

目覚めへの最も重要な鍵は、自身について変えたいところもすべて含めた、マインドのレベルでのあなた自身を無条件に愛して受け容れることです。

嫉妬、独占欲、支配欲、批判、無力感、不十分さ、非難、罪悪感、自信のなさ、傲慢さ、期待、恨み、怒り、悲しみ、落胆、依存性などを、無条件に愛して受け容れるのです。

あなたの中の、これらの性質のいずれかを変えようとすることは、これらの性質を微かに拒絶することになり、無条件に受け容れることではなくなります。あなたの内側からこれらの性質が湧き起ったらこれらに気づいて、これらを持っているのは自分だと認めることが鍵です。

自分自身にまったく何も隠さないことです。これが出発点となります。これらのすべてを自分自身のものだと認めるのです。

マインドのレベルではこれが「あなたが誰であるのか」ということだと快く受け容れましょう。これが「あなたが誰となっているか」です。あなたがこれらのことをさらに認めて受け容れるほど、より一層、多くのことがあなたに明かされるでしょう。

そしてこのプロセスにおいて常に注意深い状態に留まると、あなたは注意深くあることにより深く根づいてくるようになります。『実在(プレゼンス)』に根づくようになるのです。

目覚めの第二の鍵は、あなたの感情が完全に表現するのを認めることです。

あなたが抑圧してきた、過去からのたくさんの感情があります。当時は感情を抑圧する、正当な理由がありました。しかし、感情は解放されることを望んでいるために、怒りや悲しみなどの古い感情を解放する機会を見つけることが必要なのです。

感情がひとたび解放されると、永遠に去っていきます。

そして、新しい感情が湧き起こってきたときに、その感情が完全に表現するのを認めましょう。怒っているならば、大声で叫ぶか、クッションを叩きましょう。悲しいならば、泣きましょう。

しかし、あなたの感情的な反応に、自分自身で完全な責任を持つことが重要です。あなたの感情的な反応に対して、責めるべき人は誰もいません。

あなたが現在の状況に投影している過去から、感情的な反応はやって来たのです。ですから、あなたを怒らせたとあなたが思い込んでいる人に、怒りを直接ぶつけてはならないのです。ただクッションを叩いて、それがあなたを怒らせた人物だと想像してごらんなさい。

そして、完全に、無条件に、あなたが自分自身の怒りを愛して受け入れるならば、怒りはあなたにその秘密を明かすでしょう。

目覚めへの第三の鍵は、打ち明けることです。

これはカトリック教会の懺悔という考え方とは異なります。赦免されるためには懺悔しなくてはならないというような罪を、あなたは犯していません。容赦を乞う必要はないのです。

まったく批判的でない、この瞬間に完全に存在する人に、これらの性質を打ち明けると、あなたが打ち明けている性質を自分自身が持っているものだと認めることを促すでしょう。

打ち明けるときに、次のように語るといいでしょう。
「これが私です。
これが私が誰かです。
これが今まで私が誰となっていたかです。
私は独占欲が強く、他者をコントロールします。
私は他人を責めます。
自分の思い通りにいかないとき、私はいつも怒ります。
私は他者と親しくなることができません。
なぜなら、私は拒絶されるのを恐れているからです」

その性質を打ち明けて自分の持っているものだと自覚すると、その性質はあなたから解放されていきます。そして、これらの性質がまったく存在することのない実在のレベルに、あなたは解き放たれます。

これらの性質は実在の性質ではないために、実在のレベルでは存在できないのです。これらの性質はマインドのレベルだけに存在するものです。・・・ 』


この三次元に存在する我々人間の特徴的なところは、『「感情」を有する』ところだと感じています。


この感情を抑圧することで(ジェイコブソンさんの言葉で表現すると)マインドの拘束が始まります。感情はエネルギーですので、抑圧すると出口がなくなって人間の体の中にずっと残ってしまいます。それは、解放されるまで残り続けます。


だから、(親から与えられた)安全な自然な環境で育った子供は、無意識のうちにただ純粋に「感情」の表現をして解放して、一番適した方法で自然に自分を整えているのです。


こうやって、純粋な子供を見ればわかるように、感情が溜まればそれを安全に表現して解放することが、心を安定させる上での人間の極々当たり前の自然な姿です。


私は、子供のあり方を見ることでも、長年の研究結果からも、人間の心的活動の鍵を握っているのは、この「感情」であると断言できます。


最近では、「感情」を扱わないようにして心を整えようとする方法もたくさん出てきていますが、それは深い感情が出てくると自分一人ではその感情にはまり込んでしまったり、それを感じる恐れでうまく解放ができなくなってしまうので、自分一人でのセルフセラピーでは、感情を扱わない方がいいのです。


感情を扱わず「観念」に焦点を当てて、それに気づいて手放すことでも人は、まず楽になれます。(抜粋の目覚めへの第三の鍵でいいますと、「私は拒絶されるのを恐れている」が観念に当たります)


そして、それよりもさらに劇的に楽になれる時が、抑圧した感情が解放できた時です。(さっきの例での感情としては、拒絶をされた経験からの「私は拒絶をされてさみしい・悲しい」になります)


私自身もクライアントさんの多くの方も体験しているのが、強く抑圧してきた感情が解放された時の驚くほど深い安心感と開放感です。(ただこれは、体験した人にしかわからない感覚でありますので、言葉でお伝えするのがとても難しいところです)


インナーチャイルドを癒す手法の存在意義は、『(チャイルドを客観視することで)抑圧してきた感情がはっきりと伝わってきて、その感情の中で苦しんできたチャイルドを(客観視しているが故に)自分が受け入れて癒す、自分が自分自身を愛することができるようになる』ところにあります。


抑圧してきた感情だからこそ、その感情が見えてくると、そこに強い共感が起こります。そして、理論や理屈ではなく心の底から自然にチャイルド(自分自身)をありのまま受け入れることができるのです。


自分が自分の感情を受け入れて、自分自身を愛して癒すことが大切です。まず、自分が自分自身をありのまま受け入れて認め、好きになって愛さなければ、自分の心の中心に安心や安定感を持つことができませんから。


それができると、その人が主観で見て感じている世界が、今までいたところとは別な心地のよい世界へと変わってしまいます。自分の主観(捉え方)が変わってしまうのです。


多くの人がこの感覚を実感して味わうと、日本はそして世界は、誰をもが味わえるほんとうの楽園へと変わってしまいます。


私は、私の力がその一助になれることを願っています。






★恩讐を超えて愛に至る  2012.8.5

暑い毎日が続いていますが、皆様体調の方はいかがでしょうか。
まだこれからが夏本番ですので、どうぞお気をつけ下さいませ。


時々「どうして感情にアプローチししないといけないのか?」という質問を耳にすることがありますので、今回は人や親を許せないという思いをどう処理していいかわからないという方にお伝えさせていただいていることを少し書きます。


色んな本では、「相手を許しなさい」ということがよく書かれています。これはみんな頭では非常によくわかっていることだと思いますが、わかっているけれど、いざ相手を目にするとどうもそういう風にいられないという人がほとんどだと思います。


処理できない相手への怒りやわだかまりがあるままでは、頭ではよくわかっていても、どうしても心がついていきません。ですから、頭は「もう終わったことだしいいんじゃない」と思って「許そう許そう」と考えても、心はそれでもやっぱり「このやろ〜」とネガティブな感情が残ったままですので、ほんとうの意味で相手を許すことが出来にくくなります。これが、頭と心の言い分の違いです。


この場合、ほんとうに怒りたかったのは出来事が起こったその瞬間、そのタイミングの時、(ちょっと変な表現に聞こえるかもしれませんが)その時の相手だったのですから、私のセッションでは、(催眠療法ではありませんから)イメージの中で、その時の自分をイメージして、その手に触れて何が伝わってくるのかをただただ感じていると、不思議なことに、ほんとうはそのタイミングで感じていた感情が頭で思っていたよりも遙かにリアルに伝わってくるようになります。


そして、イメージの中で罪悪感のない方法で発散、解放すると、とてもおもしろいことに、その感情は消えて完全になくなってしまいます。その時の思いをしっかりと、感じられれば感じられるほど、きれいになくなっていきます。


それが他人の場合には、ネガティブな感情が解放した後でとても落ち着いていますから、相手に感じていた怒りの下のほんとうの自分の思いが見えてきます。ほとんどの場合それは、「この人と仲良くなりたかった」、「この人が好きだった」、「この人にわかってもらいたかった」などというその人に対する好意の思いなのです。


それが自分の親の場合には、ただただ「ほんとうは好きだった」、「大好きだった」という好意の思い、愛情なのです。特に、親に対してはネガティブな感情を解放すると、こんなにも自分はほんとうは親のことが気になっていて、好きだったことに気づいてびっくりされる人が多いです。


「大嫌い」の裏返しは、ほんとうは「大好き」です。それが大きければ大きいほど、もらえなかった時に傷つくので、反対の思いが強く出て来ます。


過剰に反応するところには、トラウマ(心の傷)が隠されています。


今までセッションの中で30人ぐらいの方が「親を殺したいぐらい憎んでいる」といわれました。お聞きすると、そう思っても仕方ない環境だと思い、私ももしその環境だったらそう思ったに違いないと感じました。そして、その方たちがその感情をイメージの中で解放したら、その方々全員が「やっぱり自分は親が好きなのだ」という思いが、心の底からわかって、「親を許せました」とお伝え下さいました。


「かわいさ余って憎さ百倍」が示すとおり、愛しているから憎くなります。恩讐という言葉もその言葉が示すとおり、「なさけ(情)」、「いつくしみ」と「あだ」、「敵」です。心からつながりたかったのに、つながれなくて、その思いがいつくしみを感じていた相手なのに(相手だから)、敵にしてしまいます。


恩讐を受け入れて、それを超えるとそこには、相手のことを「愛している」という純粋な思いに気づき、自然に「愛」に思いが向きます。特に、相手が自分の親であればその思いが格段に上がります。


ネガティブな感情の裏には、ほんとうは愛と光が存在しているのです。ありのままの感情を正面から直視すると、それは愛と光に変わることが私自身の経験、並びにとてもたくさんのクライアントさんの例外のない事例から確信しました。


そして、もう少し深く見ると・・・。


その奥にあるものは、自分が自分自身を許していなかったという事実です。愛する人から愛されなかった自分を自分自身が許さなかったのです。


このことが長い間人類がはまり込んでいた呪縛です。


今の時代、そこから抜け出すことが出来るようになる手法が色々と出て来ました。手段はすべて出揃いました。後は、手段との相性もあるでしょうし、受ける順番もありますから、あなたが直感的に自分にはこれがいいという感覚をよ〜く感じて選んでいけばいいのです。


あなたに必要なものは一つ。あなたがその呪縛から抜け出て、自由になりたいと思う、そのあなたの思いです。


重要なのは、「変わりたい」というあなたの意志なのです。






★ありのままの自然な流れに沿
  2012.7.9

「自然の流れに沿う」ということは、古来よりたくさんの先達の方々が研究してきたり、発見したり、応用してこられたものです。この流れに沿うことが、地球上に生きる我々人間にとって、最も無理や無駄、反作用がない法則です。


最近、農業において、奇跡のリンゴの木村秋則氏が提唱されている自然の流れに従った木村式自然栽培法が注目をされています。


自然の植物たちは、誰も肥料をあげたり、農薬を使って害虫駆除もしないのに立派に成長していきます。ここに着眼した自然栽培法は、無肥料、無農薬で作物を育てていこうとするものです。驚くことに、この方法の方が作物の収量が上がったり、味がよく腐らない作物ができることが実証されています。


やはり、「ありのままの自然の流れに沿う」ということが、究極の自然法則なのだと思います。


その流れに沿って生きていくことで人間の生き方も、我欲の少ない共生することを基本にしたほんとうの生き方が出来るようになるのだと思います。


そして、心の癒し・浄化の分野においても、ありのままの自然の流れに沿うことが重要になります。心においての自然な流れを観てみると、その軸には「人間は感情の生き物である」という事実が見えてきます。


人間には必ず「感情」があります。ですから、「感情」の処理・解放をすることが心の癒し・浄化を行うことにおいての「ありのままの自然な流れに沿う」ことになると感じています。


例えば、小さな子供がさみしかったり、悲しかったりして泣いている時に、『泣いたらダメ』といわれて泣くことを我慢すると、この子は感情のエネルギーのやり場がなくなり、息苦しさを感じるようになり、病気になる子や生きるのをあきらめてしまう子もいます。


自然に「うれしい」とか「楽しい」とか「しあわせ」と感じるのと同じように、「泣きたい(悲しい)」と感じたことは、それが「ありのままの自然な流れ」です。また、悲しいと感じた時に自然に涙が流れてくるということは、そうすることが生理現象にあった自然のままの流れです。


ですから、泣いている子には、ただ出てくるままに感情を感じて泣かしてあげて、しっかり泣き切れると、もしも置かれている状況が変わらなくてもこの子はなんだかスッキリとして、今を生きはじめ目の前のことに向かいだします。これは、多くの方が一度は経験されてきたことではないでしょうか。


子供のありのままの感情を抑えて止めてしまうと、その子は苦しいので、出来るだけそれを感じないようにするために「自分がどう対処していけばいいのだろうか」と、身を守るためだけの思考で生きるようになってしまいます。


ここからもわかるように、「トラウマとは感情の抑圧からはじまる」ものなのです。


今、時代の流れが人間自身が浄化をすることをとても急いでいるように感じています。多くの人が早く浄化をするためには、それぞれの人に合わせた様々なアプローチ法が必要になります。そのために、どんどんと新しい方法や手法が世に出てきています。


肉体的なアプローチや心的なものやエネルギー的なもの、意識(潜在意識)へのアプローチなど、人間の色んな側面からのアプローチ方法が出てきています。


体のバランスを整えることで浄化を促進するもの、エネルギーの流れから体と心を浄化するもの、経絡の流れを変えていくもの、体幹の筋肉をゆるめることでトラウマを解放するもの、ポジティブシンキングで思考を変えるもの、脳や潜在意識にアプローチして自己イメージを変えるもの、自分自身に自分を大切にする言葉がけをするもの、高次のエネルギーとつながり浄化するもの・・・などなど、実に様々な方法があります。日に日に、新しい方法が出てきているようです。


私も実体験が大切ですから、自分自身で試してみたものがいくつかありますし、試してみた方からの感想も聞かせていただいたりもして、それぞれ効果的な方法だと感じていますし、それぞれが世の中に必要な方法だと感じます。


やはり、時代がこれだけ急いで人間の浄化を進める必要があるのだといっているように思えてなりません。


ただ、私自身は長年の経験でこう感じています。心の部分に関しての本質的、根源的な癒しや浄化を行う場合には、人間の生理現象から見ても、(様々なセラピーや各種療法を受けるかどうかは別にして)一度は「心の深いところの感情」の解放と浄化をすることが必要になると感じています。


これが、心の分野においてのありのままの自然な流れに沿うということだと感じます。


体にばい菌が入ると、白血球が戦って防御してくれるとその死骸が膿となります。膿は体の中にあるといけないので、自然に体の外に排泄されていきます。また、体に悪いものを食べると、嘔吐をします。時間が経ってしまいもっと体の奥に入ってしまった場合には、下痢をして出来るだけ早く体の外に出そうとします。


この自然な流れを止めてしまうと、体は健康に楽にならずに、ダメージを受けてしまいます。


もしも、あなたの心の中から自然に出てくる思いや感情、感覚がありましたら、それを過剰に止めることなく、出来るだけありのまま感じるまま自然に流して出していって下さい。


泣きたい時には、泣いて下さい。ただ、その時に大切なことは、自分の心の奥の一番感じている思いを感じながら泣くことです。感情をピンポイントで感じながら泣けると、なんだか知らないけど泣いた後はすごくスッキリとします。泣いてもスッキリとしない時には、ほんとうの感情が感じられずに泣いている時です。


よくあるのは、どこかで自分が悲劇の主人公のような思いになって泣くという人も多いのですが、この場合には、感情に浸っているだけで手放そうという思いがありませんから、いくら泣いてもその感情はほとんど解放していくことがありません。でも、浸っている時には、不思議に何か心地のいい感覚がします。表現が悪いですが、それは感じているほんとうの感情から目をそらして手放さないように泣いている行為といえると思います。


また、腹が立った時には(怒りは少しコツがいりますが)、どうしても自然に納まらない場合には、相手に向けて出すのではなくて、まずは一人になって発散して解放して下さい。でも実は、人間関係での怒りは多くの場合、その相手と「仲良くなりたい」とか「わかって欲しい」という思いが根底にあり、そうしてもらえなかった時に感じはじめる感情なのです。


ということは、「怒り」という感情のその奥には、そうしてもらえなくて「悲しい」、「さみしい」という感情があるのです。自分の感情を感じているつもりでも、ほんとうの感情を感じられていないことも多いですから、感じるということに慣れていくことが大切だと最近は強く感じています。


私は人間は生まれながらの善なる存在だと確信しています。ですから、人間には「良心」があります。この良心を感じる簡単な方法は、それをすることで「罪悪感」を感じるかどうかをチェックすることです。


怒りということでは、もしも相手に怒った後で何か罪悪感を感じるようでしたら、それは自分にとってはしてはいけなかったことです。この場合、相手にほんとうは伝えたかったのは、そうしてもらえなくて「悲しい」、「さみしい」という思いだったのかもしれません。怒っても罪悪感が出なくて心がずっとスッキリとしたままでしたら、それは自分を守るため、大事にするために主張するべきことだったということです。


(ただ、心が強く麻痺している〈させている〉人の場合には、罪悪感さえも麻痺させてしまっている場合がありますので注意は必要です。自分の中の怒りや悲しみで悩んでいる方は、よろしければ個人セッションをお受け下さいませ。セッションの中でそれをありのまま受け入れて解放していくと、ほんとうにびっくりするぐらいそれは消えてなくなってしまいます)


人間とは感情を有した生き物です。


トラウマ(生きづらさ)とは、感情の抑圧から起こる心のバランスの乱れです。(「感じる」ことと「思考する」こと、その二つのバランスの乱れともいえます)


あなたがありのままの自然な流れに沿って、本来のあなたの美しさを取り戻し、自分自身を生きられるようになられることをお祈りいたします。





★「がんばる役割」や「がんばりすぎる」ことをやめられない方へ  2012.6.13

6月8日にお話し会を行わせていただきました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。


主催者の方から、「多くの参加者がスッキリした顔をされて帰られたのがなにより嬉しかったです」とのご報告をいただいて、私もとてもうれしく感じています。


楽になられる方が一人でも増えていくことが、私も何よりもうれしいです。


ただ、中に少しまだ引っかかりを感じている方がいらしたと感じています。その方たちは、「出来る人」、「出来ようとしてきた人」、「がんばってきた人」のように感じました。


トラウマを負っても、「がんばる」ことでとりあえず何とかなってきた人は、愛情をもらうために「がんばらなければならない」と「がんばる役割」をずっとし続けて身を守ってこられました。


この方法は、生きていくために親元にいる時には絶対必要な方法だったのですが、これを続けてくると、「防御のための思考」が主体の生き方になって、「自分のほんとうの思い」を感じていくことができにくくなってしまいます。


ほんとうの思いとは、我欲ではない純粋に心の奧から感じる自分の「こうしたい」、「こうすると楽しい」、「これに、とにかくわくわくする」などの『純粋なよろこびに基づいた思い』です。


実は、これに沿うことが、自分という個性に合った、自分にとっての一番うまく行く流れなのです。


私は、この『純粋なよろこびに基づいた思い』のことを『インナーチャイルドセンス』と呼んでいます。そして、この思いが出てくるのを思考が止めてしまいます。インナーチャイルドセンスは、ほんとは過去に終わっているけど、解放しなかったので今に持ち越して残っている感情の下にありますから、この感情をただ感じて解放することで、自然にはっきりとインナーチャイルドセンスを感じられるようになります。


もっとわかりやすい表現でいいますと、経験された方もおられると思いますが、失恋した人がそれを悲しみもせずに、ずっと我慢していると、いつまでもその相手のことが忘れられません。失恋のつらさを感じて、しっかりと泣いた人は、悲しみ切れるともうその相手のことが心からあきらめられて、次の相手を探して自分の人生を生きようとします。


そう。ほんとうは多くの人が、「親に失恋をした」のです。


それを悲しみきれないと、どこかでいつまでも親からの愛情をもらおうとします。でも、親からはやっぱりもらえないとさらに傷つくので、他の人からもらおうとしてしまいます。でも、心は満たされません。なぜなら、ほんとうは、自分の親からその愛情をもらいたかったのですから・・・。


そのために、「がんばる」ことで愛情をもらおうとしてきたタイプの人は、がんばることをやめるのが恐くなってしまいます。「がんばる」を止めるともらえなくなると思っているからです。でも、ほんとうは、失恋の悲しさを感じ切れると、ポジティブなあきらめができて、親のことは大好きだから(だから傷つくのです)、親を捨てるわけでなく、よい意味であきらめられて、もらえなかった過去ではなく今に意識が向いて、初めて自分の人生を進むことができます(進もうと思えはじめます)。


(ネガティブなあきらめは、思考で考えないようにしてあきらめることです。一見同じあきらめに見えますが、実はまったく別物なのです)


でも、今は無理に感情を感じる必要はありません。このタイプの方は、気が向いたら、ゆっくりでいいですから、次のことを少しやってみて下さいませ。


@今は、まず「自分がどうしてがんばっているのか?」に気づいていって下さい。「何が欲しくてがんばっているのか」など、その奥になるものをじ〜っと感じていって下さい。そして、それを紙やノートに書き出していって下さい。書くことはとりあえず頭で整理しないと書けませんので、頭の整理が進みます。


Aもしも、出来事を思い出したら、それも書き出して下さい。


Bもしも、そこから感情を感じはじめるようでしたら、自分のペースでその感情に向き合って下さい。


※ただ、この感情があまりにたくさんあって、大きなものだと感じる時には、セッションをお受け下さいませ。どれだけ大きくて、解放しきれないと感じているものだとしても、そのぐらい感情が見えていると、強力にお手伝いができますから、必ず解放することができます。


どのようなやり方であっても、あなたが今までがんばってきたということは、あなたには誰よりも「がんばる力」があるのです。この力は、あなたの才能です。がんばる力は、あなたが持って生まれてきた、あなたへのギフトなのです。もしも、そのあなたがインナーチャイルドセンスを感じられるようになると、『純粋なよろこびに基づいた思い』に向かいながら、よりよいやり方でがんばることができるのです。


純粋に自分のための人生を進みながらのあなたのそのがんばりは、周りの人に自然によい影響を与えることでしょう。あなたがあなたを生きることで、自然にあなたの光が周りを照らしていきますよ。


「がんばる力」という素晴らしいギフトを持ったあなたのおしあわせをお祈りいたします。





★客観視の大切さ  2012.4.9

前回の続きを少し書いてゆきます。


自分が自分の味方になってゆくためには、自分を客観視することがとても大切です。


人間は自分のことはわかりませんが、他の人のことはよくわかります。それは、人を客観視しているからです。


今までも客観視の方法を色んな方々が説いてこられました。ある方法では、日常でとにかく自分が感じたことや感情、思いを書き出して、フッと出てきた想念をしっかり観察していくという想念観察の方法もあります。私はずっと以前に津留さんという方にその方法を教えていただきました。これも色んなやり方があるようですが、感じた感情を溜め込んで蓄積するのではなく、書き出してその感情思いを受け入れ解放してゆくよい方法だと感じています。


ただ、私のセラピーからの経験でちょっと付け加えさせていただくとしたら、一つ重要なことがあります。


それは、頭の思考と心の感じるということが、みんなが思っている以上に、実際にはかなり違うということです。これが、私がこの仕事をしてきて、一番驚くと共に人間の心と思考の関係について気づかされた点です。


前回も少し書きましたが、頭の思考は生存本能から自分がどうすれば生き延びられるか、安心して生きられるのかを思考・考えとしていつも働かせています。しかし、心は自分の感覚で感じたありのままをただただ純粋に感じています。もう、自然に感じてしまうものは、ただ感じる以外にどうしようもありません。これを抑えると、すべてのバランスが崩れはじめてしまいます。


前述の想念観察は、そういう思い、感情を誰にも迷惑かけることなく一人で解放するよい方法なのですが、もう小さな子供の頃からみんな多かれ少なかれトラウマを負ってきています。


ですから、生存本能としての思考が知らない間に普通の状態になり、それが主体になって生きてきていますので、感じていることを書き出そうとしても、感じていると思っていたこと自体が、実は身を守るための思考の範囲内でしかなかったり、感じることがうまくわからなくて感じ切れないということがとても多いのです。


ある意味、人は子供の頃にトラウマを負った時から、生存本能が故に、深い感情や思いを感じない(感じられない)ように生きてきてしまっているといえるのです。ここがあるので、どうしても一人で行っていく方法には限界があります。感じていくということに、慣れていないし、無意識に制限をかけてしまうのです。
(ここが我々のような手法を使う業種が必要な理由です)


セッションを受けて下さった方々皆さんが、覚えていることなので頭ではこれぐらいのこんな感じの出来事でそんなに大したことではない、まあこんなものだったなあとしか思っていなかったことが、子供の自分(インナーチャイルド)を客観視して向き合って見てみると、その当時の純粋な感情や感覚、思いが伝わってきて、ほんとうはその時にすごく感情を感じていたということに気づいてびっくりしたといわれます。


私自身も、記憶もあるのでその当時の自分の思いに気づいていたはずなのに、いざ客観視してみてその違いにものすごく驚いた一人です。

(そして、違いが大きいほど、癒される度合いも比例するように大きくなります。心の奥を深く見ることを多くの人が恐がりますが、この作業を抵抗せずに行ってゆくと、その結末には「自分らしくありのままに楽になるという癒し」が待っているだけなのです(^_^)v)


このように、ほんとうに驚くほど、頭(思考)の言い分と心(感情)の言い分は違っていることが多いのです。


私は、「心の奥から感じる」ということを取り戻すことがこれからの時代に、精神性においてまず我々に必要なことではないかと感じています。


心の奧を感じて、そこにある思いや感情を感じることで、ネガティブな感情にも共感する思いが出てきて、きらいな部分の自分であったとしても、受け入れて味方になることが自然にうまく出来る(自然にそうしてしまう)ようになり、自分の良心(インナーチャイルドセンス、ハイヤーセルフ、自分の本質、真我ともいえます)ともつながることが出来るので、「深い安心感」の中で自分を生きられるようになります。


そして、自分を隠したり、ごまかさないので、人をだましたり、ごまかしたりすることがなくなり、犯罪は激減すると確信しています。


前述の想念観察も今の自分やチャイルドをイメージで客観視して、そこから伝わってくるものを感じながら行ってみるとおもしろいのではないかと思います。また、ホ・オポノポノ
もそうやって行ってみると、今まで感じなかった新しい発見があるかもしれませんね。

※ハワイから伝わってきた自分自身に四つの言葉をかけて潜在意識を浄化していく方法


こういう方法なども、うまく出来ない、効果をあまり感じられないという方は、個人セッションを受けてみて下さいませ。自分の感覚で、心の奧の方から感じるということがわかり、心を感じることが上手になりますよ。





★自分が自分の味方になる  2012.3.22

世の中のほとんどの人が、強いか弱いかは別として、トラウマを持っています。


この世ではトラウマを負うことで、深いところの自分が、自ら求めた感情エネルギーを体験して、人間のそれぞれの立場から感じる思いを味わおうとすることが、人間存在の一つの理由だと感じています。


しかし、トラウマを持つと心の中に「安心感」がなくなります。インナーチャイルドからの表現でいいますと、親からの自分が満足する方法で愛情がもらえなかったら、子供の心の中に「安心感」が育まれなくなります。


人間は、安心感がなくなると、脳幹である爬虫類脳が「生きるか死ぬか」だけの選択をはじめます。これが「生存本能」です。


トラウマを負うことにより、生きるために安心感を求めて、生存本能が働くと、人は「身を守るため・傷つかないため・愛されるためを目的として生きる」ようになります。


そして、自分よりも周りの人や物やことを気にして生きるようになります。(ここがある程度満たされると、身を守ることが目的ですから、反転して逆に、人を気にしない自分だけの世界に入ってしまいます。これが過剰になると、「今だけ・自分だけ・お金だけ」の利己主義に陥ります)


世の中の多くの人が周りを気にして生きてしまうのは、この「安心感の欠如」がすべての原因です。


周りを気にして生きると、自分の軸がずれてしまい、自分がなくなってしまいます。受け入れてもらえたらもらえたで、もらえなくなると不安になるのでもっともらおうと相手や周りを更に気にしだしますし、もらえないと感じると、更に安心感がなくなり生き延びようとして、より周りを気にして傷つかないため・好かれるために生きてしまうという悪循環にはまってしまいます。


周りが気になってしようがないといわれる方は、まず「安心感」を持つことが大切です。


でも、わかっていても、これはなかなか難しいですよね・・・。


私が感じる一番はじめにしたらいいと思う根本的な方法は、「自分が自分の味方になる」ことです。


いつ、どんな時にも、どこであっても、何があっても、自分のそばにいつも必ず離れずにいるのは、自分自身しかいません。もしも、大嫌いな自分だとしても、自分自身からは絶対に離れられないし逃げられません。


それであるならば、とにかくゆっくりでも、自分と仲良くなってゆく以外に方法がないのだと思います。自分が自分の味方になって仲良くなると、子供の頃にもらえなかったはずのあの「安心感」が心の奧の一番深いところに出てきます。


そうすると、不思議なことに、感情や思いは劇的に安定してゆきます。安定しないのは、自分が自分の味方にならずに、自分を受け入れなかったり、否定したり、無視したり、責めたりするから、より不安感を感じるし、自分が自分を大事にしないから、自分に腹を立てたり、(外に出すか出さないかは別にして)周りにも腹を立てるようになるからです。


そうなると、心の中には不平不満ばかりが増えてゆきます。また、怒りが過剰になると憎しみ、恨み、嫉妬などの重たい感情に変わってゆきます。


自分が「この人に受け入れられているか」とか「この態度に腹が立つ」などの(結局自分が人に好かれているかどうかという)思いで周りを気にしていると感じた時には、まず自分がどれだけ周りに意識を向けて、周りを気にして外側にエネルギーを使っているか、その現状に気づいて下さい。例えば「ああ、今自分はこんなに周りを気にしてしまっているんだ」と。

(一度つかまないと手放すことが出来ないですから)


そして、ゆっくりとうまく出来なくてもいいですから、周りを気にしている思いから自分の心の内側へと意識を戻してみて下さい。自分に意識を戻すというのは、自分が少しでも、興味をひかれるもの、おもしろいと感じるもの、楽しいと思うもの、わくわくするもの、好奇心をひかれるものなど「今自分がどう感じているのか?」という感じる思いに意識をフォーカスすることです。


ただ、この時には周りを気にしていたことで自分の感覚が閉じていますから、自分の感覚を広げるようなイメージや視野を広げて周りの人ではなく、その部屋の場としての雰囲気やそこに存在する物などその場所の全体に意識を向けたり、自分の体に意識を向けて、床に着いている足の裏の感覚を感じたり、体全体の感覚を意識したりしてみて下さい。


そして、「今、自分は何を感じているんだろう?」、「何に自分の興味や好奇心が向くのだろう?」と自分の心をじわ〜っと感じていきます。そうすることで、自分の軸、自分のよろこび、自分のわくわくなど、自分の感覚に焦点が当たりはじめます。


考えること(思考)からは、生存本能からの「恐れ」を感じないようにするための防御が反映していることがほとんどです。一方、感じること(心)からは、安心感があるとほんとうに純粋に感じている「好奇心、楽しみ、よろこび」がたくさん出てきます。


だから、安心している小さな子どもたちは、あれだけ純粋によろこんで遊ぶのです。今は見えにくくなっていますが、あのよろこび(インナーチャイルドセンス)が人間が本来持って生まれ、ほんとうは今も心の底にずっと持っているものなのです。


自分が自分のそばにいて、味方になることで、ほんとうの安心感が心の一番奥に定着してゆきます。出来るようならば、「私は私の味方だよ。いつも、そばにいるからね」などと心の中で言葉がけをすると更にいいと思います。

(子供の頃に、親から自分が満足する形で、このような言葉をかけてもらったり、思いを向けてもらって愛された感覚を感じた人は、親から好かれることで自分が自分のことも好きになり、自然に心の奥底に安心感が定着します)


「安心感」と(思考ではなく)「心を感じる」ことが、よりよい人間性を培い、精神性を高める上で、とても重要なキーワードになります。


お伝えしたこの方法は、はじめはなかなか難しいかもしれませんが、いつまでも自分と距離をおいておくとしあわせを感じられませんから、とにかく出来るだけ自分が自分の味方になって、自分と仲良くなるための簡単で大切な方法だと実感しています。(この方法も自分で人体実験済みです。このことは次の機会に・・・)


重要なことは、人から受け入れられている、好かれていると感じる部分の自分と仲良くなるだけでなく、人から受け入れられていない、好かれていないと感じる部分の自分とも仲良くなり、味方になることです。ここが、根源からの安心感を得るための大切なコツです。

(自分の味方になることが難しいと感じられる方は、セッションをお受け下さいませ。自然に、ありのままの自分の味方になれて、驚くほど安心感が強くなってゆきますよ)


そういう意味では、この地上での我々の旅は、自分がありのままの自分と仲良くなるための旅といえるかもしれませんね。





★自分のことでの大きな気づき  2012.3.4

今回の記事は紹介するのはとても恥ずかしいのですが、私の体験が何かの気づきにつながればと思い、恥を忍んでちょっと書いてゆきますね。


前回の記事でも書いた、このところの疲れの隠れていた原因がわかりました。


変化は昨年から心の面に出ていていて、大勢の人の前でお話をさせていただくようになってから、大変恥ずかしいことなのですが私の中で「自分は特別な存在」というような思いが出てきているのに気づいていました。


「自分は特別」・・・。この思い・観念は以前から自分の中にあるのを感じていて、それは私が過去世から持ち越している思いであることに気づいていました。そして、その奥には、過去世でかなり地位のある人間で、その地位でこの思いを持ちながら、権力を乱用したのだということが感覚ではっきりとわかったのでした。私はこれを過去世で完全に処理出来ないまま、今世に持ち越して生まれてきたのだと感じました。


だから、私は今世、父親という家庭内での権力者から受け入れてもらえないというトラウマを持つために、父との関係性を体験したことにも気づきました。自分に対する価値感がすごく低くなることで、後に下がって表に出ないように目立たないように大人になってもしていました。


この地上では感情があるので、自分が反対の立場を経験することで、そうされるつらさという感情を感じて身をもって学んでいこうとするのがこの地上の役割の一つであるのだと感じています。

(父からのトラウマのことは、「トラウマ統合療法」の「私のインナーチャイルド療法体験」に少し詳しく書いています。)


そして、この「自分は特別」という思いは、なんだかそういうようなものが心の奧の方にあるんだと自然に感じた一昨年の夏頃に、『そう感じていたんだね』とその思いをただただ理解し、受け入れることで、その多くを癒すことが出来ました。


また、別に今までも、そうすることはまったくありませんでしたが、自分一人で「権力を乱用するのではないかという恐れ」を感じていましたので、癒したことでもうそうすることはないとはっきりと感じその恐れも消え、人前に出ることを自分に許すことが出来ました。


その時に、「世のために、自分が出来ることを表に出てさせて下さい」と心からお祈りをしました。すると、不思議なことに数日後に、私が会ったことがない方からの助言をいただきまして、倉敷市PTA連合会からの大きな講演会の依頼をいただいたのです。


ここからあちらこちらから自然に話を頂いて、講演会やお話し会をさせていただいてます。


でも、会をする度に終わった次の日一日だけ、まだ残っていた「自分は特別」という思いが頭を持ち上げてくるのを感じていました。そして、その度に「やっぱり、こんな思いを感じる自分はなんと情けない」とそれを否定して一生懸命打ち消そうとする自分がいました。


昨年半ばぐらいには、その思いが出てくることはもうずいぶん弱くなっていたのですが、少しでもそう感じる自分を許せなくて、それを出さないようにするために、どこかでその時から自分を少し麻痺させて止めていたことに、今日の深夜にふっと気がつきました。


疲れは、その時から自分を麻痺させて色んな感覚を感じないようにさせていたことで、それが蓄積して起こっていた感じです。


うれしいことも楽しいことも心地よいと感じる感覚も、この時から少しオブラートにかけてしまっていて、100%感じられない状態になっていました。


そうすると、「自分は特別」という思いは抑圧されても、うれしいとか楽しいという感覚も麻痺させているので感じにくくなり、よろこびではなくネガティブのようなものだけが残って、すごく疲れていたのでした。


それに気づいた今日の朝からは、自分の意識が開いていて多くのものを自然に感じようとオープンになっている自分がいます。やっぱり心地のいい感覚です。


私自身の内側を感じることでも、人はなんと多くの観念を作り、持ち越しているのかが改めてよ〜くわかりました。


もしかして「自分が特別」と感じるということは、他の生で「人よりも劣る」と感じる屈辱の経験を強くしていたのかもしれません。私の魂の遍歴に自然に思いがはせゆきます。また一度じっくりと、このあたりを感じてゆきたいなあと思っています。


いずれにしろ、過去世での私は「自分が特別」という思いもただ体験して味わいたかったんだなあと今はっきりとわかります。色んな経験をしてきて今感じるのは、『我々はここにただ経験と体験をしたくて存在している』のだということです。


いつもいっていることですが、感じた思いを、否定するのではなく、隠すのではなく、責めるのでもなく、変えるのではなく、ただただ経験・体験して感じたかっただけなので、まず始めには「そう感じていたんだね」とありのまま受け入れていけばいいのだと感じています。


なぜなら、自然に感じてしまったものは、それがまったく自然なことだからしょうがありません。それがありのままだから受け入れるしか仕方がないのです。そうしなければ、自分がそれは悪いと感じる他の誰でもない自分自身の思いから、逃げ続けたり、隠し続けたり、あるいは否定し続けたり、あるいは責め続けたり、あるいは変え続けたりして、生きていかなければならなくなってしまいますから・・・。


私は私を含めて人間はそうやって、悠久の時間、思いを処理しないまま、そのために現在に至っているように感じられてしょうがありません。


やはり、ありのまま、自然のままが、人間活動の道しるべであるのだと思います。





★2012年の年頭を迎えて
  
2012.1.1

新年明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願い申し上げます



私は今年は、例年以上にしっかりと「自分の直感を感じて生きてゆこう」と思っています。


自分が「ほんとうに感じたこと」が自分にとっての真実であり、自分にとっての最善の道しるべになるのだと感じています。常識だからとか、それが普通だからとか、そうするものだからとかいう「観念」に縛られずに、自分を生きてゆこうと思います。


そのためには、しっかりと自分の心に向き合うことが大切になるので、その時間を出来るだけたくさん取ろうと思っています。


実は、常識だから、慣例だから、普通だからという流れは、人々が自分でものを考えない、感じないようにするための、ある意味「洗脳」するために作られた流れであることを今は強く感じています。特に、戦後の日本では、洗脳するために作られたものがとてもたくさん存在しています。(一例でいうと、昔の共通一次試験、今のセンター試験などのマークシートでの回答方式は学生を物事をしっかりと考えない人間にするための方法だと感じます)


それらの「観念」からちょっと外れて物事が眺められるようになると、世の中の流れがはっきりと見えるようになります。何が真実で何が違うのかが自分の感覚でわかるようになるのです。


今年は、そのためのお手伝いもしてゆきたいと思っています。


それから、今年は次の時代に必要となるシステム作りのお手伝いをしてゆきたいと思っています。それは、「地域コミュニティー」のモデルづくりです。昨年半ばぐらいから、私の直感がそのためのお手伝いが出来たらいいなあといっています。


仲間と共に、「出来るだけ自分のことは自分で補える、生活基盤を自立させた生き方」がこれからの時代には必要になると強く感じています。各県にそういう地域コミュニティーが増えていって、さらにそのそれぞれがネットワークとしてつながってゆく流れを作るお手伝いもしてゆければなあと思っています。(現に今、地域コミュニティーはあちらこちらで出来はじめています)


まずは、一つの「地域コミュニティーへの参加」が出発点かなと思うのです。


そう思っていると、ありがたいことに今年から、ご縁のある友人が立ち上げたコミュニティーに参加して、お米作りを手伝わせていただくことが決まっています(^_^)


「直感」と共に「よろこび」も道しるべに、今年は人生を進んでゆきます。(年々、ほんとうに自分をごまかせなくなっていっています。そうなると、よろこべないことはさらにどんどんと出来なくなっています)


皆様にとりましても、今年がご自分の心の深いところから出る思いとつながった年となられることをお祈りいたします。






★2011年の終わりに思う
  2011.12.31

早いもので今年も終わりが近づきました。


ここでは、恥を忍んである
体の異変から気づいたことを書いていこうと思います。


十数年前に、知人から誘われてネパールに旅行に行きました。一週間ちょっと滞在をした記憶があります。


カトマンズからポカラというネパール随一といわれる保養地に行き、その滞在中に一人で行ったレス
トランで食べた食べ物にあたったようで、夜にものすごい腹痛が起きました。


痛くてしょうがなく、トイレに何度も行って、出る物がなくなっても腹痛が止まらずに、一晩中5分に一回ぐらいの間隔でトイレに行くようになり、出てくるものは血液ばかりになりました。


大丈夫かなと思いながらも心は冷静でしたが、あまりにも痛みが強く、夜中でど
うすることも出来ないので、ちょっと実験をしてみようと思い立ちました。(今までこうやって、自分の身や心に何かが起こると、そこからどうすると抜けられるか人体実験をしてきました。これにより色んなことがわかりました)


痛みを消せなくても軽くするにはどうしたらいいのかの実験です。


結果はというと、痛みから逃げようとするから、余計に痛みが増すような気がしたので、「じゃあ、逃げることをやめて、痛みを積極的にしっかりと感じてやれ」と思い、とことん感じようとしてみたのです。


すると、不思議なことに、あれだけ痛かった痛みが消えることはありませんが、なんだかだんだんと気にならなくなってきて、「これも一つの体験だ」という感じて気楽に味わえるようになってきたのです。


それからも、トイレには行ったので、たぶん計40回近くになったと思いますが、なんだかこの体験を楽しんでいるような不思議な感覚になっていたことを思い出します。


その後は、朝にはだいぶ痛みは治まってきたので、病院に行き薬をもらって飲み翌日には大丈夫になりました。赤痢とかコレラとか重大な病気でなくて安心したのを覚えています。


この人体実験の経験から、「痛みも物事の出来事も、逃げるからより大変になる(大変に感じる)ので、出来るだけ逃げずに、そのことに向き合って受け入れてしまおうとすると、自然に楽にやり過ごすことが出来るようになる」ことがはっきりとわかりました。


そして、ちょっと意味合いが違いますが、今年もそのような感覚を味わった出来事がありました。


2月1日の夜中に、何かよくない感じがするもの(感覚)がすぐそばに近づいてくる感じが強烈にして、こんな感覚を味わったことがないのでかなり動揺すると共に悪寒を感じました。この感覚が何かはわかりませんでしたが、逃れられない感じがしたので、この時にも、じゃあ、恐がらずに近づいてくるその感覚の中に積極的に入っていって、「来るなら来い」と受けとめる思いを持つと、す〜っと楽になりました。



ここからは、さらに話しの流れが変わってしまいますが、この感覚は、2月15日の夜中にも起こりました。この時には、自分の背後に漆黒の闇の入口があるような感じがして、背中が冷たくなる感覚がありました。


これらは、日記を見返していて気づいたのですが、今年は他にも変化があり、1月1日から急に毎日悪夢を見るよう
になり、それは1月14日まで続いていました。


また、3月10日と11日の夜中は普段全くないのに、頭が痛かったのです。そして、その日昼間に東日本大震災が起こりました。


とにかく日記には、2月に入ってからは震災後一ヶ月ぐらいまで、「しんどい、疲れた」のオンパレードで書いていました。


今考えると、どうも何か震災の予兆を感じていたようです。


東日本の方々にとられましては、今年はほんとうに大変な年だったと思います。震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様の復興をお祈りいたします。


来年はよりよい年であることを心から願っております。


私は今のところは、特別な悪い感覚は感じていません。


ただ、大自然は日々刻々と変化をしています。そして、大自然の一部である我々の人生もそれと同じように変化をしてゆくものです。


「変化こそ、人生そのもの」といえると思うのです。


何が起こるか起こらないかは、大自然にまかして、日々生起することを恐がらずに出来るだけ受け入れて、今のこの瞬間、今ここに生きてゆきたいと思っています。


起こることはすべて必然なことで、大きな視野で見ると、すべてがよりよくなるための軌道修正として起こっているだけだと感じていますから。


でも、「変化」は出来るだけ緩やかに、穏やかに進んでいってくれることを心から願い祈ります。


皆様のおしあわせをお祈りいたします。





★本の執筆
  2011.9.15

私は今、人間の心にまず何が影響しているのかという流れ(事実)を多くの人に知っていただく必要性を強く強く感じています。これがわかり、解放が出来ると、誰もが必ずびっくりするぐらい人生が生きやすくなり、年齢を重ねていたとしても人生の生き直しが出来るからです。



そのためには、私が気づかせていただいたことを書物としても世に送り出さなければならないと思い、やっと本格的に本を書き始めています。


もう何年も前から本の出版は考えていて、幾度か書き始めてはいたのですが、この心の一番深いところは知識としての思考だけでは、ほんとうの意味ではわかりにくい部分がかなりあり、セッションを受けてみて頭(思考)と心での感じるということがどれだけ違うのかを体験した人だけにしかわからないものがあるのです。それ故に、書き出してみてはこれでは伝わらないと何度も筆を折っていました。


それでも、5年程前にさせていただいた講演会を聞いて下さったある人は、「あの話しをそのまま本にしたら、もうそれだけでとてもいいですよ」といって下さいましたが、完璧主義が強かった私は、本にするにはもう一つ納得がいきませんでした。


でも、ここのところ続けて講演会・お話し会の回数が増えてきて、一般の方にどのように伝えたらよいのか、どの入口を使うといいのかということが以前よりも見えてきました。(経験とはありがたいものです。やはり実体験以外に力がつくことはないのだと感じます)


著書があれば、もっと公的機関や教育機関、教育の現場や医療の現場、子供を持つ親御さん方、治療や癒しに関わる専門の方々などなど、広い分野に渡って理論の公示をすることが出来るなあと思います。


大げさな表現に聞こえるかもしれませんが、私にはこの気づかせていただいたことは、社会を変えてゆく一助になるという確信がありますので、私の納得のいくペースで執筆を進めていきたいと思っています。(出来るだけ早くとは思っていますが・・・)


私が出来ることで、世の中がよくなるお手伝いを心からしたいと思っている毎日です。





★みんな一つ:ワンネス
  2011.7.7

最近、とても強く感じることがあります。


みんなは一つなんだなあ。自分と他人は別れている別々の存在のように見えるけど、ほんとうは一つでしかないんだなあ。


来て下さるクライアントさんは、実は自分自身。ほんとうは、自分が自分を癒している。すると、自然に更なる誠心誠意の全力投球ができる。


すべての意識は一つ。


あなたは私。私はあなた。


周りを批判したり、責めるということは、自分を批判し責めているということ。すると、自分にも周りにも批判と責めの連鎖がずっと続いてしまう。


すべては、自然の法則が示すとおり。


多くの人の心の中に、知らず知らずのうちに、無条件の愛ではない、他人への批判や攻撃、責める思い、相手を受け入れていない思いが存在している。


私の中にも存在していたその思いに気づいて、「こんな思いがあったんだ・・・」と、その思いを直視して向き合った時・・・


私の心の深いところで、みんなは一つというワンネスの想いが静かに大きく広がっていきます。


世界中の私がしあわせで平安でありますように。  





★心の安らぎを得る方法
  2011.4.7

多くの人が自分と他人を比較するが、自分は自分という個性であって、それ以上でもそれ以下でもない。


「ありのままの自分がほんとうの自分」で、それが変えようのない現実であるから、周りから受け入れられない部分があったとしても、それはつらいけれどしょうがない。


それを多くの人は、受け入れられないありのままの自分を感じた時に「それをいかに変えようか」と、そこから抜け出す対処法ばかりを考えている。


あるいは、ありのままの自分を「やっぱり自分はダメな人間だ」と否定したり責めるばかりでいたりする。


しかし、そうしても心の安らぎはいつまで経っても得られることはない。


なぜなら、その方法が間違っているから・・・。


あなたが心の安らぎを得ようと思うなら、まず一番はじめにすることは、ありのままの自分を変えようとせず、否定もせずに、ただありのままその現実を受け入れること。


たとえば、『そんな自分だけど、それが自分なんだよね。そうなんだね』・・・と。


もしも、悲しくて涙が出る時には、それを否定せず、無用に悲しみに浸ることもせずに、「それが悲しかったんだ」とただただ冷静に感じながら味わいながら泣くこと。


そして、次には「受け入れられる自分になるにはどうするか」の対処法を考えること。


一見この対処法は、最初の「それをいかに変えようか」という対処法と同じように見えるが、いったん自分を受け入れていると、『受け入れられない自分から逃げるための・ありのままの自分以外になるための対処法』を見つける必要がなくなり、自然に、『ありのままの自分を生かす・ありのままの自分になるための対処法』を探すようになるのである。



皆さん、まずはつらいかもしれませんが、現実を事実をありのまま受け入れて、認めて下さい。それが出来ると、成長するための次の段階が自然に出てきますよ。


悲しいことであったとしても、事実は事実として直視して受け入れ認めて、そしてあきらめてゆくしかありません。


ここをいつまでも、あきらめないように、受け入れないようにすると、逃げるための方法、隠すための方法、つらさにただ浸って見ないようにする方法をずっと一生続けることになってしまうかもしれないのです。そしてそれは、生まれ変わりという視点から見ると、生まれ変わった次の生涯にまで持ち越して続けてしまう場合が多いことがセッションの中からもわかりました。


こういういい方をすると、強い表現に感じられると思います。でも、私はみんながこの部分を処理しなければならない時代に入ったと感じられて仕方がないのです・・・。


大切なことは、ただ「この方法・順番を間違えないこと」だけだと思っています。


皆様がありのままの自分を取り戻されることをお祈りいたします。





★これからの時代に必要な心理セラピーの考察
  2011.4.4

今年はとても大切な年で、時代が変化する時と感じていましたが、震災という形で思っていたよりも早く、そして思っていた以上の出来事ではじまってしまいました。


私は、震災が起こる前からと起こってからもずっと、これからの時代とこれからの世代に対応したセラピーの進め方をどのようにしていったらいいだろうかと考えていました。


そして、自分の中で結論が出ました。


これからの時代には、「自分がなぜここに生まれてきたのかその使命や目的と、死がすべての終わりではなくて魂は永遠に存続することを理解すること」が大切で、そして何よりも、それらを自分自身の感覚で体感して感じ取ることがとても重要なのではないだろうかと感じました。


そのために私が出来ることは、HPには宗教だとか、色々な誤解をされないように、広く一般の人にも門戸を開くために詳しく書いていませんでしたが、今まで必要だと感じた人に行っていた前世療法をもっと多くの人に行って、インナーチャイルド療法と同じように、このセラピーにも力を入れてゆくことに決めました。


セラピーについては順次、HPの説明文を変更してゆこうと思っています。今までは、インナーチャイルド統合療法をインナーチャイルド療法と前世療法の二つを合わせた療法と位置づけていましたが、これからは、すべての名称も変えようと思っています。


どうぞ、ご興味のある方は、是非セッションをお受け下さり、あなたがここにいる存在理由やその使命・目的を理解し、魂の永続性を体感して、自分の本質に沿った生き方をしていって下さいませ。


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今、時代がとても大きく変化しはじめました。この変化は更なる大きな変化へとつながってゆくように感じています。


この大いなる時代の変化に対応してゆくためには、我々人間という存在の本質を理解しなければ、生きることの本質がわからなくなってしまいます。


私は、人間は輪廻転生をして幾たびも生まれ変わって、魂の成長・浄化をしながら、様々な体験を重ねている存在だと感じます。


セッションの中で多くのクライアントさんが体験した過去世の体験とその感覚と私自身のものからも、魂は計
画的にこの世に生まれてきていることを感じます。


そこには、「魂の計画」が存在します。


魂の計画とは、過去世の人生で持ってしまった罪悪感や後悔の想い、体験しきれなかったと魂自身が感じた想いを次の生の中で、自分から両親や環境を選ぶことで、効率的に成長や浄化と体験をすることを決めた大いなる計画のことです。


そして、今世ではその両親と環境の中で、この地上でしか体験のできない浄化と体験に必要なトラウマを負い、そのことで持つネガティブ感情とそれ以上傷つかないようにするために自分から身につける観念の枠を持つことで意図的に自由をなくし、人の痛み・苦しみや感情に共感することを学んでゆきます。


人間はこうやって、自分で計画的にこの地上に生まれ落ちてきて、主には肉体でしか強く感じることのできない感じるということを体験し、様々な人や自然との関係から霊的に成長することを目的にしていると感じています。


そして、人間(現代人)のとても特殊なところは、自分で身を守るために観念の枠をつくったはずなのに、次第にそれにがんじがらめになって、自分でつくった幻想ともいえる不自由さの中で過剰に苦しみながら人生体験をしてしまうところです。私は、長年心理療法に携わってきてたくさんの人たちの心の中を知ることで、このあたりの心の仕組みがはっきりとわかりました。


私は、もうこのような過剰な苦しみ方をしなくてもいい時期が来ているように感じています。これをすると、効果
的に成長、浄化、体験ができなくなるばかりでなく、いたずらに生まれ変わりの回数を増やすばかりになることも感じます。


これからの時代、できるだけ多くの人が自らで決めた魂の計画を理解し、罪悪感や後悔の想い、観念の枠を外すことで、設定してきた計画は加速的に成長と浄化と体験のスピードを速めて、自分という存在を本質的に理解しながら、新しい時代に対応したよりよい人生を歩めるようになることを心から願います。

ホリスティック・セラピー研究所では、心の奥に抑え込んできたインナーチャイルド(本質の自分)と過去世(魂)を扱うことにより、みんながほんとうのしあわせの中で生きられるようになるためのお手伝いをいたします。


★過去世セラピー

人間は、この世にその人独自の使命と役割と目的を持って生まれてきています。私はこれを魂の計画と呼んでいます。


しかし、多くの人がそのほとんどを忘れてしまった状態で生きています。


今、時代がとても大きく変化をはじめています。


この急激な新しい時代の流れに対応してゆくには、今までの知識や経験則では何の役にも立たなくなります。


今こそ、自分の魂の奥底にある過去世の様々な経験から培ってきた「智慧と叡智」を取り戻す必要があります。


あなたのほんとうの生き方は、他の誰かから教えてもらうものではなく、あなた自身の魂の奥にあり、あなた自身にしか見つけることが出来ません。あなたの魂だけがあなたの本質的な生き方を教えてくれるのです。


あなたの魂の智慧と叡智に触れ、自分が存在する計画を理解し、あなたの本質に沿った生き方で新しい時代を共につくってゆきましょう。


過去世セラピーはそのためのお手伝いをいたします。

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※魂の計画につきましては、ここでは簡単に書いているだけなので、わかりにくいと感じる方もおられると思います。ここについては、今後一般の方向けのお話し会も開いて、わかりやすく説明をする機会を設けていきたいと思っております。このあたりの流れが、わかるだけでも自分自身への捉え方が変わってきます。

★2013年1月より、セラピー名称をインナーチャイルド統合療法に戻しました。





★余裕がない時に出てくるものが残してきたネガティブなものの姿
  2011.3.5

余裕がない時、元気がない時、ストレスがかかった時などに出てしまう態度や状態が、心の中に残してきたネガティブなものの姿である場合が多いように思います。


そういう時に、これがどのような形で、どれだけ出てくるかが、「ほんとうの意味での自分がどれだけ自分らしい安定した状態に成れているか」のチェックポイントとなります。


まだそう成れてないという方は、自分らしくいられるように、ご自分を癒していって下さいね。自分が自分をありのまま受け入れないと、自分の中での安定が出ません。


自分より外からのもので満たして、安定しようとするから、逆に自分の中に安定がなくなるのです。


余裕がない時にそうなるだけだから大丈夫と思っていても、もしも何か「外的な変化」が起こった時には、ネガティブなものの影響がもろに出てしまうので、自分も周りもとてもしんどくなってしまいます。


どうぞ、あなたがあなた自身をありのまま受け入れ、その悪いと感じるネガティブなもの自体も「ここにあったんだね。気づかずにいてごめんね」とただ受け入れ認めて、自分を癒す時間を出来るだけ持って下さいね。


今までは、残してきたネガティブなものをさらに押し込んで隠そうとしていたから、余計しんどくなったり、生きづらくなっていただけなのです。


あなたのおしあわせをお祈りいたします。





★過去、ここ数年の流れ
  2011.3.1

ブログの記事の中からこのホームページに載せた方がいいと思ったものをこちらに移動することに決めて、昨日作業を進めました。


移している時に改めて、文章の内容と時間の経過を照らし合わせることが出来て、ここ数年の自分の心や体の変化に客観的に気づきました。


特に、引っ越ししてきてからのここ約1年半ほどは、私にとってちょっとしんどいものでした。当初は、築60年の家の補修をがんばりすぎて、気候も異常気象により天候不順で寒暖の差もとても激しくて、それらの影響からも少し体調を崩しました。そしてもう一つ、楽になった今、わかったことがあります。それは、私は今住んでいるここで自分のカルマ(業)を解消するために、引っ越してきたんだなあと感じています。


そして、しんどかったですが、割りと多くの部分それを解消できたのではないかと感じています。(人は一生をかけて、このカルマの解消をして自分を浄化して、体験を重ね更に成長しようとしているのだと思います)


今研究しているある文献には、カルマが解消されると、「よしやるぞ!という感じで、心に元気が出て勢いが増してきて、より大きな志で生きようと思えるようになる」という感じのことが書かれていました。今の私は、その通りに、「よ〜しやるぞ!!」という思いが心の奥から湧き出てきています。


今は、いつもいつも、「日本のため、公のために、もっとどのような手伝いが出来るか、自分がわかったことをどのように伝えていこうか、全体をよりよくするためにはどのような流れが必要だろうか」と、そればかり考えています。


でも、中道、中庸が大切なので、自分個人の楽しみも味あわないといけないなと思っています。その自分の安定が、周りに伝わってゆくのですから。


人前に出ることも多くなってきているので、個と全のバランスをとりながら、道から外れないように、勘違いしないように進んでゆきたいと思っています。


それから、最近、体や心のバランスを崩されている方が多いとよく耳に入ってきます。病気になられたという方の話もよく耳にします。


ある考え方では、しんどい時には、「それはカルマや悪いものが解消されていっている時だから、不安がらずに、ただ今それが消えていっている」と精神面においては、抵抗せずに見守って、流して行くのがいいんですよというものもあります。


不安や心配をしている方が、体の免疫バランスや脳内ホルモンのバランスが崩れてしまいますから、そういう見方でも、この考え方は理にかなっているように思います。


もしも、何かの変化が出てきた時には、一見とても悪く見えるものでも「変化はよりよくなるためにしか起こりません」ので、あまり不安がらずに、出来るだけ安心と希望を持って、現実に対処していただきたいと思います。


生きとし生けるものがしあわせでありますように。






★まずは気づくことから
  2011.2.16

先日、小さなお話し会をさせていただきました。


この会では、お話し&公開質問会という感じで行わせていただきました。


お話しをさせていただく時には、お伝えしていると多くの方が涙を流されることがよくあります。


私はそれは、ピンポイントでその人が持っておられるものに触れられているからだと感じています。みんなが子供の頃に、この深い部分を感じないように生きてきましたので、感じないようにするフィルターがかかっていて、一人でその部分を感じることが難しくなっていますから、このような状態で出る涙は、深い癒しにつながってゆくのです。(どのような感情かを心の深いところでわかりながら泣かないと、その感情は解放してゆかないのです)


この会では、質疑応答がメインでしたので時間がなくて出来ませんでしたが、触れていかれたその後に、さらにイメージワークをさせていただいて、その感情を自分が自分で受け取って自分で癒すという直接的な作業が出来たらもっとよかったなあと反省しました。(でも、ご参加して下さった方からのご感想をいくつもいただいていますが、皆さんよろこんでいただけたようでホッとしています)


私はいつも感じます。まずはじめに大切なことは、「気づく」ことだと・・・。


気づいて、その原因に触れられたら、それがいらないと感じた時にはいつでも手放せることが出来ます。まだ、持っていたいと感じている時には、わかりながらそのまま持っていればいいのです。


まず、触れて気づくことが出来れば、その後は自分の思い通りに出来るのですから、今までわからないことで感じていた不安や怖れからは解放されます。


そして、わかることで、次にどうすればいいのかも理解が出来ます。


どうぞ、理解が出来て動こうと思われた時には、行動に移して下さいね。それが、あなたがあなたらしく変われる最適の時ですから。


心から、一人でも多くの方が自分らしさを取り戻せたらいいなあと感じる毎日です。


あなたのおしあわせをお祈りいたします。






★「出来る自分になる」ということ
  2011.1.31

「出来る自分になる」ことの奥には、「受け入れて欲しい」、「わかって欲しい」、「好かれたい」という思いがあります。


このような思いは、人間でしたら多かれ少なかれ、誰でも必ず持っているものですが、親から「受け入れてもらえなかった」、「わかってもらえなかった」、「好かれなかった」と感じている人は、特に過剰にこれらが欲しいという思いが強くなってしまいます。


子供は、小学校に入ると「勉強」や「テスト」などの今まではなかった「学習する」という作業がはじまります。そこに、親自身が「出来る自分になる」(裏返すと、「出来ない自分はきらい、ダメ」)という思いが強いと、無意識のうちにも子供への「できるか」、「できないか」の判断基準が強くなってしまいます。


そうすると、子供にとっても出来る自分が善になって、出来ない自分は「受け入れてもらえない」、「わかってもらえない」、「好かれない」のでダメ(悪)だから、『愛されるために「出来る自分になる」』という思いを次第に強化してゆきます。


この思いが強化されてゆけばゆくほど、悲しいことに、自分らしさがなくなって、自分を生きられなくなってゆくのです・・・。


我が家のトイレには、私が好きな立花大敬さんの言葉が入った日めくりカレンダーがかけてあります。(大敬さん、トイレでごめんなさい)以下の今日31日の言葉が、この記事を書くきっかけになりました。


宇宙いっぱいのものが

君となって生きている


宇宙いっぱいのものが

君を通して表現されてゆく


君が君であること

それ以上に尊いことがあろうか


君が君であればあるほど

宇宙であり


君からはい出ようとするほど

ちっぽけになる


※ちなみに、九州の進学校の物理の先生の大敬さんは、多くの生徒を有名大学に合格させています。自分のちっぽけさをしっかり味わい、それを受け入れきった大敬さんだからこそ、生徒の頭に教えられるだけでなく、心にも伝えられるのだと思います。






★真のエリート
  2011.1.27

私は近代という時代がつくった枠により、終戦後にアメリカの管理下に置かれることにより、そして幼少期にトラウマを負うことにより、いつの間にか安定と安心を求めるためだけに生きるようになった人が増えてしまったように感じています。


近代において、人が安定と安心を得る一番の方法が、簡単な表現でいうと「出来る自分になる」ことだったのだと思います。


それは、ただただ、いい成績を取ることを目的とし、いい学校に入り、大手企業やエリートと見られる職業に就くことを目標にすることです。


出来ることは、とてもよいことなのですが、世間から評価を受けるために「出来る自分になる」と、それは出来る自分になって何をするかではなくて、出来る自分自体が最終目標になってしまいます。


そうすると、何を一番大事なものとして自分が生きてゆくのかという「自分の生まれてきた目的と使命」に気づかないままに、ただ平穏無事な安定を求めて生きるだけになってしまいます。


今の日本も相変わらず、官僚が支配しているといわれていますが、この中の多くの人が「出来る自分になる」ことを最終目標として生きてきたように思えてなりません。(これは官僚以外の主要と思われている職業に就いている人にも同じことがいえると思います)


もしも、そうでなかったら、間違いなく日本はもっとよりよい国になっていたでしょうし、そうなるための方向に向かっているはずですから。


エリートの方々が真のエリートになってもらいたいと思います。エリートになりたい人が真のエリートを目指してもらいたいです。


ある学者さんが書かれていました。真のエリートとは、『その社会のために、自分の利益と関係なく、その社会のためにしなければいけない、してあげたい、やらざるを得ないという特別の責務を受諾する人のことである。・・・エリートであるか否かは社会階級とは関係がない、「意識」の問題です。意欲の問題です』と・・・。その意識、意欲を持っている人は、真のエリートになり得るのです。


大事なことは、日常の狭義(ミクロ)の意味での目的意識を持ちながら、自分の生まれてきた使命に関わる広義(マクロ)の目的意識にいかに気づいて、いかに行動するかということなのだと思います。


そして、私流にいいますと、その目的意識や使命は、やらなければならないことというよりも、それをすると思うと自分自身が楽しく感じたり、うれしくなったり、わくわくすることです。使命とは、義務や役割ではなく、「よろこびへの意識・意欲」といえるかもしれませんね。


あなたは、何を一番に大切に思って生きておられますか?

あなたのマクロの目的意識そして使命は、何でしょうか?

あなたは、なぜ今ここに存在していますか?






★近代がつくった枠  2011.1.12

あるクライアントさんの高校生の子供さんが、お母さんがセッションを受けてからあまりにもよりよく変わって「違う人になった」といって、私に興味を持ち、自分の悩みを相談したいと手紙をくれました。


勉強に関するこの子の悩みの答えは出ますが、未成年の子によりよく伝えるには、どのようなアドバイスをしたらいいだろうかと考えていて、思いがついつい色々な方向に行き、ある物語が浮かんできました。


『その世界には支配するものと支配されるものの二つのタイプが存在しました。


権力を握った支配するものは、支配が行き届くようにすべてのことを管理しようとしました。


支配されるものは、その支配から逃れようとしても逃れられないことがわかると、その支配に夢も希望も失ってただただ従順に従うものや、その中で質素に生きながらもよろこびを見いだして生きるものや、あるいは支配する側のできるだけ近くに身をおいて、その傘下で安心と安全を得ようとするものもいました。


支配するものの傘下で安心と安全を得ようとするものは、そこに身をおくことによろこびを感じるのではなく、ただ心配と不安を解消するためにそこにいるのです。


そこで役に立つ人間だと認められたものは、支配するものの権力の枠の中に入れてもらえます。支配するものから認められなかったものは、出世ができなかった失意と共に支配の中で希望を失い生きてゆきました。


そして、支配するものの支配する歳月が長ければ長い程、支配されるものはその権力の枠に入ることがだんだんと彼らの生きる目的になってしまったのです。


ほんとうは、権力の枠の中にも、よろこびがないということがわからないままに・・・。』


・・・というような話がなんとなく出てきました。


これは現代社会においても、同じようなことがいえるのではないかと思います。


中学や高校生の子でいえば、すべてとはいわないですがどこかで、よい会社に就職したり、よい仕事に就くために、よい学校に行くという選択をする子が多いのではないでしょうか?


その選択をしても、ほんとうのよろこびがないということに気づかないままに・・・。


そこには何か、近代という時代やその中の支配するものがつくった枠に、支配されるものが安心を求めて入ってゆこうとする姿に似ているものを感じるのは私だけでしょうか。


子どもたちが、夢と希望を持って生活することができる世の中ができたらいいですよね。


そこで、近代がつくった枠ということに関連して一つのお話しを紹介します。「みんなを幸せにするおカネの話」という本です。


この本は、短い文章の中にユーモアを交えて、お金に関するお話しをしてくれています。私はこれを読んでとても心に響くものがありました。よりよい社会をみんなの手で創れたらどんなにしあわせなことだろうかと思いをはせました。


本は、トータルヘルスデザインという会社が自分のところで作っている小冊子で、私はこの小冊子を読みましたが、作者の同意の下に本の文章が無料でダウンロードをして読めるようにしてくれていることがわかりました。私は、以下のアドレスの「NPO 命のかて」というところでダウンロードしてみました。ご興味がある方は、ぜひ読んでみて下さいませ。

NPO 命のかて http://www.inochinokate.net/comm/books/money-book.html






★2011年の年頭をむかえて
  2011.1.3

新年おめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い申しあげます。


生きとし生けるものがしあわせでありますように。
あなたにたくさんのしあわせが訪れますように。


昨年は私にとって心と体の浄化の年でした。そして、その後半は私が積み重ねてきたものを外に向かって本格的に表現するという年でもあったように感じています。


12月には、400名程の倉敷市の母親委員の皆様対象に講演をさせていただき、その中でも色々と感じて気づかせていただいたことがあります。


講演会を終えて控え室にいると、何人もの方が話しがしたいと控え室前に待っておられたようで、時間の関係もあって、数人の方には、短いながらお話しをさせていただきました。(時間がなくて、皆さんとお話しができなくて、待って下さっていた方には申し訳ありませんでした)


そこで感じたことは、多くの人が自分の思いや感情を感じにくくなっているということが実感としてよくわかりました。


「インナーチャイルド統合療法」や「しあわせの法則」のページにも書いていますが、人の「頭の言い分と心の言い分」は違うことが多いのです。


簡単にいいますと、頭の言い分は「こうであるべき」という思いで、心の言い分は「こうしたい」という心の奥から出てくる思いです。心の言い分を「直感」と表現する人もおられます。私は、「インナーチャイルドセンス」と名付けました。これは、子供の頃に持っていたありのままの純粋な思いや感覚のことです。子供は、「ああしたい、こうしたい」と浮かんで来るままの自分の純粋な思いや感覚を感じています。


本来人は、このインナーチャイルドセンスを大人になってもたくさん持ち合わせている存在だと思います。しかし、子供の頃にまずはじめに親との関係でトラウマを負うと、親から面倒を見てもらえなくなると生きてゆけなくなるかもしれないので、心の言い分であるインナーチャイルドセンスを押さえて、『自分の身を守るため・愛情をもらうため・傷つかないように生きるため』に、「こうした方がいい」、「こうしなければならない」という頭の言い分で生きてしまうようになります。すなわち、頭の言い分とは、安全と安心を感じて生きてゆくための生存本能といえるかもしれません。


例え話でいいますと、親によく怒られる子供は、自分がこうしたいという純粋な思いを感じると、ただ純粋にそれをしたくなります。でも、それをすると親からまた怒られるし、そう出来なくてつらくなるので、怒られないようにすることを目的として、「怒られないようにするためにはどうするか」という思考方法である頭の言い分で生きるようになってしまいます。そして、怒られないように、周りを気にするようになり、怒られないようにするための自分なりの方法を見つけてゆきます。


もしも、この子がこのまま大人になると、この人は怒られないようにするために、否定されないようにするために生きるようになってしまいます。そうすると、「自分が自分としてどうしたいか」、「どう生きたいか」という自分の思いがうまく感じられなくなるのです。


これが、自分の思いや感情を感じにくくなる一つのパターンです。子供は、安心できる環境がないと、防御のために生きるようになるのです。人間にとって、なんと家庭環境からの影響は強いことでしょうか。(最近の若い子たちが、過剰に見てくれを気にするのも、周りから受け入れてもらうための防御方法のように感じます)


この傷つかないように、身を守るための頭の言い分がゆるんでいくと、インナーチャイルドセンスを感じはじめられ、良い意味で頭の言い分を使えるようになります。それは、自分を大切にして自分を生きながら、周りの流れもちゃんと感じて周りも大事に出来るようになりますから、自分と周りとの割合がフィフティー・フィフティー(50:50)で生きやすくなります。


私は、このフィフティー・フィフティーが「中道」とか「中庸」といえるものではないかと思っています。自分も大事・周りも大事、Win・Winの状態です。別ないい方をすれば、子供のように純粋なインナーチャイルドセンスをしっかりと感じながら、大人としての分別がつく状態です。


そのための一つのコツは、

@自分が身を守るため・傷つかないように生きるためのやり方を誰との関係でするようになり、どのようなやり方をしていたかに、まずは気づくだけでいいです。気づいて、つかんでいることがわかれば、手放そうと思えば自分の意志で手放すことが出来ますから、まずはつかんでいることに気づくことが必要です。気づけば、50%は終わったも同然です。


A日常で、自分の罪悪感に気づいて下さい。つかんでいたものがわかってくると、少し頭の言い分がゆるんでくるので、前よりも自分を感じやすくなりますから、自分を大事にしすぎても、何か周りに対して「悪いなあ」という思いを感じると思います。また、周りを優先しすぎても、自分に対して何かスッキリしない思いを感じると思います。この思いが、罪悪感です。実は、罪悪感は自分にとってのよりよい流れを示してくれるツールともいえるものだったのです。


この文章を読んでいて、ちょっと感じてみようかなあと思われた方は、行ってみて下さいませ。あまり乗り気にならない方は、やらないで下さいね。乗り気にならないことが、悪いことではありません。それも、あなたの純粋な思いなのですから。心の中なら自然に出てきた思いや感情は、いいも悪いもないので、ただそう感じているんだとそのまま受け取ってあげるだけでいいですよ。


ここでは、出てくるままにちょっと書きましたが、ここに示した方法は一例ですが、今年はグループ・ワークという形でも自分に気づき癒してゆく直接的なお手伝いをさせていただきたいと思っております。


開催が決定しましたら、「お知らせ」やブログに載せてゆきますね。


なんだかすることがたくさんありますが、今年は、表に向かってどんどんと出てゆきたいと思っています!


どうぞ、よろしくお願いいたします。



 
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