こころのこと



★ぴかぴかの光り輝く玉
  2010.12.28

先日広島で、妻とのジョイントでお話し&コンサート会をさせてもらって、気づくことがありました。


仕事柄、生きづらさを感じていた方々が目の前で劇的に楽になって行かれるのをたくさん拝見しているので、頭ではよくわかっているつもりでも、私の中から「トラウマを解消せねばならない」というニュアンスの表現が出てしまいます。


これが解消できると、みんなが例外なく劇的に今よりも楽に生きられるようになるのですが、子供の頃の出来事とその感情には目を向けたくないと思われている方もたくさんおられることと思います。見たくない方は、(マクロの人生計画からも)今はその方にとられて見る必要がないということですから、そこに向き合ってゆかなくていいのです。タイミングというものも必要なのです。


今回、私がうまくお伝えできていなかったのはこの言葉でした。「トラウマがあってもそのままでいいんですよ。向き合いたくない時には、向き合わなくてもいいんですよ。なぜなら、ほんとうは、あなたはそこにいるそのままで完全なのですから。あなたのほんとうの心は何も汚れていないのです」


私は自分がインナーチャイルドを癒した時に、はっきりとあるビジョンが見えました。それは、自分のチャイルドを癒して『ほんとうに心地いいなあ』と感じている時、急に、知っている人や知らない人まで、十数人の方が自然に浮かんできてその姿が見えたのです。


何だろうと見ていると、その人たちのおへその下の丹田といわれるところあたりに色が見えるのです。そこが真っ黒の人もいますし、グレーの人もいますし、白っぽくなっている人もいますし、光り輝いている人もいました。


これは一体何を表しているのだろうと感じていてわかりました。


真っ黒のものやグレーや白っぽいものはすべて、トラウマがスモッグのようになっておなかのあたりに溜まっているのです。色が濃い程、そのトラウマが強いことを表しています。


そして、トラウマはスモッグですから、周りにまとわりつくようにそこにとどまっているだけで、まとわりついている中心は光り輝いている玉だったのです。そこが光り輝いている人は、他の人と何が違うかといえば、ただスモッグがまとわりついていないだけだったのです。ただ、それだけの違いでした。


トラウマというスモッグが真っ黒の人もグレーの人も、みんな、その下には光り輝くきれいなまん丸い玉があるのが見えました。どの人のものも同じでした。完壁な球形で、ほんとうにきれいに光り輝いているのです。


私は、昔から性善説を信じていました。人は元々善なる存在だと。でも、私が見たこのビジョンは、その思いが反映したんだとは絶対に思えない程の見え方感じ方だったのです。


今も、私は確信しています。


人は、ぴかぴかの光り輝く魂を持って生まれてきたそのままで完全な善なる存在だということを・・・。


人間は、誰もがみんな、そのような存在なのだと感じています。だから、赤ちゃんや幼児期の子どもたちがあんなに輝くような笑顔で笑うのだと思います。


トラウマが強くなる家庭環境で育たれた方は、スモッグは自然に強くなってしまいますが、そのトラウマというスモッグの下には、ぴかぴかの玉(魂)があります。今はスモッグで玉が見えなくなっているだけなのです。


現時点では、そのスモッグを吹き払う元気がないという方は、今はそれでいいのです。吹き払おうという思いが出てきた時には、このトラウマはスモッグでしかありませんから、ふ〜〜〜っと息を吹きかけていくと、スモッグはどんどんと吹き飛ばされてゆきますよ。


そうしようと思えない時やしたくない時には、ただただ感じて下さい。


「私の中にも、トラウマというスモッグの下には、ぴかぴかの光り輝くきれいな玉があるんだ」と・・・。そして、その玉の光をイメージして、感じてもいいですよ。


それは、きっと、とっても柔らかい、暖かなエネルギーであなたを包んでくれると思います。


そう。あなたは、もともと、ただそこにいるだけで、光り輝いている、完全な存在だったのです。


あなたが、ここに生まれてきてくれたことに、感謝します。


生まれてきてくれて、ありがとう。






★ポジティブ思考の大切さ
  2010.11.15

前回の記事で子供の授乳期間の心への影響についての問いかけをさせていただいて、多くの方からコメントやお話しを聞かせていただきました。


改めて気づくことがたくさんありました。皆様ありがとうございます。


さて、今日は最近よく思っているポジティブ思考の大切さについてです。


我々がいるこの物質世界では、エネルギーは大きく分けると二極に分かれます。電気のプラスとマイナス、磁極のN極とS極、性別の男性と女性、命の生と死・・・などなどたくさんの例がありますが、相反する二つのエネルギーで構成されているのがこの世界のようです。


道(タオ)を説いた中国の老子は、「陰も陽も二つに分けるのではなくて、とりあえずどちらも受け入れて、その間に力を抜いてありのままの状態でいればいいのだよ。ありのままさえ気にせずにね」といわれているように私は捉えています。


陰も陽も知りながらそれを受け入れ、その中間地点にいられると安定した状態を保てるのだと思います。しかもそれは、綱引きでいうと引き合いながらも真ん中のところで止まっている状態、すなわち、プラスとマイナスのエネルギーが拮抗した状態ですから、静の安定ではなく、動の安定になります。


外から見ると、どちらも安定していますが、静の安定はとりあえず安定を得ようとして片方の極にとどまっているだけなので、完全に止まった状態ですから変化が起こった時にはすぐにうまく対応が出来ません。しかし、動の安定はほんとは動いているので変化にとても対応しやすい安定だということが出来ます。急に大きな変化が起こったとしても、自分の直感に従った自分自身にとてもあった対応が出来るようになると感じています。


そして、私は最近、人間の思考パターンにおいても、動の安定が必要なのだと感じています。そのためには、ネガティブ思考ではなくて、ポジティブ思考でいることが大切になるように思っています。


ただし、動の安定でいるためのポジティブ思考をするには、今までのネガティブ感情を受け入れて解放して、よりよい形で自分に取り込むことが不可欠になります。それが私の仕事で、先ほどの説明のようにネガティブ(陰)を受け入れ解放してポジティブ(陽)に向かう、すなわち、陰陽どちらも受け入れて自分の中に取り込んでゆくのです。しかし、今回はネガティブにはあまり触れずに、ポジティブ思考に焦点を当てていきましょう。少しづつでも、ポジティブ思考でいられる時間が長くなればそれだけ、安心感が増していきますから。


ポジティブ思考が大切なことは、多くの人がわかっていると思いますが、行ってみようとすると意外と難しいと感じる人も多いことと思います。ポジティブ思考が習慣づくと、よいことを共鳴させて引き寄せやすくもなります。でも、引き寄せるのは結果論で、ポジティブ思考の目的は、安心感を感じて自分が自分でいるということだと私は思っています。


このところ、ポジティブ思考にはどのような方法があるのかをちょっと調べています。よくあるのは、「ありがとう」とよく言ったり、心の中で唱える方法です。『しあわせの法則』にも書いていますが、私もこの方法を行っていました。


それと、調べている時に思い出したもう一つ私がやっていた簡単な方法があります。心配事や気になることが起こったときには、「大丈夫、大丈夫、大丈夫。よくなる、よくなる、どんどんよくなる、まだまだよくなる、メチャクチャよくなる」という言葉を唱えていました。これをしていると、心配して、悩む時間と思考を結構早くポジティブに向かわせることが出来ました。それと、一番いいのは安心感が出てくるところですね(^_^)


それから、調べていていい方法だなあと思ったものを一つ紹介いたします。ドン・ミゲル・ルイスという方が書かれた「四つの約束」という本に紹介された方法です。(コスモス・ライブラリー発行)
※説明文は本からの引用ではなく、本を読んでの私なりの説明解釈が含まれています。


@正しい言葉を使うこと
汚い言葉、否定的な言葉、悪い言葉ではなく、正しいきれいな言葉、ほめる言葉、賞賛する言葉を使うことです。(最近、私が公認ファシリテータとなったヴァーチューズ・プロジェクトという国連から表彰された美徳教育プログラムもこれに当たります。このことはまた別の機会にご紹介しますね)


Aどんなことも、自分のこととして受け取らないこと
人から否定的なことをいわれたとしても、それに合意して受け取るとそれを自分で認めたことになり、そのような自分になっていくのです。それは、その人が勝手にいっている言葉なので私には関係ないと思っていいのです。


B思い込みをしないこと
道を歩いていて、人とすれ違った時にその人がイヤな顔をしたとします。多くの人は、嫌われた、否定をされたと思い気分を悪くしますが、その人に「お前が嫌いだ」とはっきりといわれたわけではありませんので、様々な思い込みをしなくてかまいません。もしかして、その人の機嫌が悪かっただけかもしれませんし、目があったタイミングでその人が別のイヤなことを思い出した瞬間だったのかもしれませんし、その人が勝手にあなたが自分をいじめた人にどこか似ていると思ってイヤな顔をしたのかもしれません。いずれにしろ、あなたは何も悪いことをしていませんので、もうそのことにとらわれないで忘れて、自分のことをしたらいいのです。


C常に、ベストを尽くすこと
どんな状況であっても、あなたが疲れていようが、病気であろうが、その時のベストを尽くしていれば、あなたが「自分はダメな人間」とか「何も出来ない」などと自分自身を裁くことがなくなります。自分を裁くことがなくなれば、罪の意識を抱くことも自分を処罰することもなくなります。ベストを尽くすことで、人生をしっかりと生きることになります。そうすると、自然にその自分が好きになっていきます。しないといけないとかこうした方がいいと思いながらも、しないままでずっといると、自分で自分がイヤになってきます。誰からいやがられるよりも、自分が自分をイヤになることが一番自分の心の深い部分にダメージを受けるのです。生きる気力が出ないという時には、実は自分が自分をイヤになっている時かもしれません。


ネガティブ思考は、長年の習慣になっていることが多いと思います。それは、子供の頃からの習慣の場合が多いですが、たぶんその人の親とか家族がネガティブな言葉を口にすることが多い人だったのではないかと思います。


脳はコンピューターといえますので、家庭の中での家族の表現とか態度を標準的な基準としてインプットしてしまいます。脳の形成過程の赤ちゃんや乳幼児は、親と家庭が世界のすべてですから、そこから基準も作ってしまいます。ですから、人間にとって家庭環境はとても大切なのです。


こうやって長年身につけてきたネガティブ思考ですから、基本的にすぐにポジティブに変えにくいものですが、ご紹介したようなコツを使っていくと、使わない場合よりもかなり早く習慣付いてゆくと感じています。


感じるものがあった方は、ちょっと行ってみて下さいませ。


あなたにたくさんのしあわせが訪れますように・・・。






★「変化」は自然の流れ  2010.9.14

出張先で少し時間があったので、本屋さんに入りました。


入り口付近で目につく本があり、手にとりました。


表紙には、ちょっと強面の人が麻雀の牌を手にして写っています。大変申し訳ないのですが、タイトルが目に入らなかったら手にとらずにいたかもしれません。


タイトルは、「手離す技術」。著者は、桜井章一さんという方です。


桜井さんは、麻雀で20年間無敗のその方面では伝説の方のようです。あまりに強いので、麻雀の鬼「雀鬼」呼ばれたそうです。


写真では、強面ながら一芸に秀でた限界を突き抜けた人のようにも感じました。


さっそく購入して読み進めていて、感じた思いがあります。『おお〜、これはタオではないか』・・・。


中国の老子が説いたプラスとマイナスの真ん中の思想、すなわち中庸の思想です。(今、タオは我家ではちょっとしたブームになっています)


今回ご紹介したい言葉は色々ありますが、購入しようと思うきっかけになったこの一節にします。(「手離す技術」 桜井章一著 講談社+α新書)



『 私が道場生たちに教えている麻雀は、「雀鬼流」と呼ばれている。そして、この雀鬼流は、一生かけても完成できないものだと思っている。


 なぜなら、ある程度達成したと思っても、そのときには雀鬼流そのものが姿を変えているからだ。だからまた、それまで築き上げてきたものを手離し、新たな一歩を踏み出すことになる。得ては捨て、つかんでは手離して・・・・雀鬼流とはその繰り返しなのだ。


 私の出した本にしても、先述したように、出来上がった瞬間にすでに手離している。私と道場生たちのやっていることは、いわば自然のサイクルとまったく同じなのである。


 ところが現代社会に生きる多くの人は、一度得たものをなかなか手離そうとはしない。それが苦労したものであればあるほど、握りしめる力はよりいっそう強くなる。


 自然界の中で、人間ほど得ること一辺倒の生き方をしている生き物はない。つまり、得たものを手離さない生き方は、自然に反する行為ともいえるのである。


 そして人は、得たものを強く握りしめるということが、どれだけ自分を苦しめているのかに気づかない。そうやって人間は自らを窮地へと追い込んでいるのだ。


 苦労して手に入れたものを手離したくないという気持ちは、私にもよくわかる。でも、雀鬼流でやっているように、手離すことで見えてくる新たな世界というものが必ずある。


 手離すことは、「終わり」ではない。


 手離すことから、すべてが「始まる」のである。 』


自然においては、四季が移り変わるように・・・、
植物が発芽し、成長し、実をつけ、種を残し、枯れてゆくように・・・。


誰もが変化を恐がりますが、変化こそが自然の法則、自然の流れなのですね。





★子どもたちと接するお仕事の方々へ  2010.8.2

数日間ある勉強会に参加してきて、勉強内容とは別に気づくことがありました。


参加者の方の中には、学校の先生が割と多くおられてびっくりしましたが、その方々の多くが強いトラウマや観念を抱えておられるのがわかりました。


子どもたちへの思いがあるので、とても強い表現になってしまって申し訳ありませんが、自分の内面にあるものが無意識のうちに周りに出てしまい、周りに影響を与えてしまうという原理に気づいてしまった者として、失礼ながらあえて表現をさせていただきます。


子供に接する仕事をしている方が、トラウマを残していたままだと、子供にうまく接しられません。接しられないどころか、そのトラウマの影響を無意識のうちに子供にもかぶせてしまい、結果的に子供を傷つけてしまいます。


それは、家系のトラウマが世代間を伝わってゆくのに似ています。


子どもたちと接する仕事をされている方たちとこれからそのような仕事に就こうとされている方たちに心からのお願いがあります。


どうぞ、まずご自分の心の中に何があるのかを恐がらずに向き合って下さい。見たくないと思いますが、見て下さい。


それを、完全にうまく向き合えなくても、見られなくても構いません。ただ、少しでも自分の心の中にはどのようなものがあるのかに気づくだけでいいのです。


ただ気づいて、こんなものがあったんだとそれを出来るだけ認めるだけでいいのです。あるいは、ただその気づいたことをちゃんと聞いてくれる人に話すだけでもいいのです。


そうやって、自分が自分をやさしく見て、ちゃんと向き合って気づいてあげるように、どうぞ、子どもたちを見てあげて、守ってあげて下さい。または、それがうまくできなくても、子供たちと一緒にそれに向き合い感じながら、一緒にそれを乗り越えようとすることでもいいのです。


見たくないものを見ないように隠したままでは自分の人生が始まりません。隠していると、隠すためだけの隠し続ける人生になってしまうからです。


今の世の中、家庭でも居場所がない子どもたちが多いのに、学校でも居場所がなければ、もう子どもたちは安全な場所がなくなってしまいます。癒してくれる友達も大切ですが、子供には必ず広い視野で見られる大人が必要になります。


ほんとうは、それが親なのですが・・・。


どうぞ、恐がらずに自分の心の整理をして下さいませ。そして、その痛みをありのままただ受け入れて、許してあげて下さい。


そうすることで、ほんとうに自然に、ありのままの子どもたちを受け入れ、認めてあげられますから。


どうぞ、どうぞ、よろしくお願いします。


子どもたちのために・・・。未来の日本のために・・・。そして、あなた自身のために・・・。





★物に満たされた時代  2010.5.19

私は、12年ほど前にインドやネパールに旅行に行きました。


そこでは、みんなが貧しいが慎ましやかな生活を営んでいました。


特に、子どもたちはあちこち破れたり、かなり汚れた服を着ていました。しかし、その子たちのまなざしはキラキラと純粋で、子供らしく生き生きとしたものでした。


よほど、日本の子どもたちの方が、貧しい生活をしているのではないのかと旅の間中感じていました。


発展途上国といわれる国では、(例外の国もありますが)健全な親子関係が育まれている場合が多いです。物質的には貧しいですが、親が子供を子供が満足する形でしっかりと愛しています。


方や日本や先進国といわれる国では、物質には恵まれていますが、心が満たされないままでいる子どもたちや大人たちが、そのことに自分で気づかないまま生活を営んでいます。


ある自転車屋さんから聞いた話ですが、ここ岡山の県北の片田舎でも自転車の盗難がとても多いそうです。そして、盗難をするのは、ほとんどが中学生や高校生の子供なのだといっていました。


日本は1973年から経済安定成長期に入りました。そして、1991年にバブルがはじけるまでそれは続きました。物質を最優先する時代でした。その影響が物心つく3歳から出るとすると、40歳〜22歳の世代が特に強くその影響を受けていると考えられます。


その時代を過ごしてきた子どもたちが大人になり、親になって子供を育てています。愛情の変わりに物を与えられ、物質を享受することを覚えてしまった親は、子どもたちにも愛情の表現として、心ではなく物を与えてしまいます。


子どもの頃に受けた習慣は、脳や心の中心まで、染み渡ってしまいます。


有り余る物に囲まれて、物があることが当たり前の生活をすると、物に対して愛着を感じにくくなり、物を大切にしなくなります。


物の大切さがわからない中高生が、気軽な気持ちで人の自転車を乗り捨てしています。そして、その原因は私も含めた親や大人たちが、子どもたちに物の大切さをきちんと教えられていないからです。


世界に大きな影響を与える先進国やこの日本は、どこに向かっているのでしょうか?


人間が、「生きる」というほんとうは純粋でシンプルな行為をもう一度見直す時が来ています。見直していかなければ、人間が人間ではなくなってしまうかもしれないという危惧を強く感じます。


そのために出来ることは、まず自分の心の内に何があって何がないのかをしっかりと確認することからではないかと思っています。


事実を否定すると、そこからごまかしや苦しみが生まれてしまいます。


あるものには、「感謝」をし、ないものには、ないという事実を「ありのまま認め」、ほんとうは何が欲しかったのかを感じ、それを他人からではなく「自分自身で与える」・・・。


心の内に向き合うことで、それが可能となるのです。






★日本の行く末
  2010.4.30

最近、この仕事をしていて強く思うことがあります。


それは、『この日本を住みやすい、よりよい国にしたい!』という思いです。なんだかこの思いが自分の中からどんどんと湧きあがってきます。


今日本では、テレビや雑誌などのマスコミの影響(戦略)で、人がものを考えなくなり、自分の心の深い思いを感じないようになっていると思います。


1973年から日本経済は安定成長期に入って、物質を享受する傾向がどんどんと強まってきました。物を手にすることがしあわせと、テレビや雑誌などのマスコミを媒体とした宣伝も過剰になり、大量生産大量消費が加速されていき、バブルと共に安定成長期が終わってからもそれは続いています。


カッコイイ車や大きな家、イケメンや美人など、見てくれがいいのは悪いことではまったくないのですが、そればかりそれだけを追い求める風潮は物事の表面しか捉えられない人間をつくってしまうように思えてなりません。


そして、若い世代は、早くには小学校から、遅くとも高校から携帯電話を手にする子供たちが増えています。高校生では、携帯電話所有率が90%以上のようです。


私が個人的に感じるのは、周りの子供たちを見ていて、いい意味でも悪い意味でも自分の心が動いた時にはすぐに友達にメールをすることで思いを共有して、つながっている安心感を感じようとしています。


これを過度に行っていると、自分の思いをしっかりと感じて味わうことや自分の考えをしっかり持つことが出来にくくなります。また、人間は悩むことで強くなったり、それをある程度自分で乗り越えることで自信を深めてゆく存在だと思うのですが、今の子供たちは悩みから逃げようとばかりしているように見えます。


思いや感情に向き合わず処理をしないままでいると、元気な時にはいいのですが年をとってきたり、体調を崩したりした時には、心の奥に残してきたものが自然に浮き上がってきてしまい自分を苦しめます。自分の心の中の捉え方や思い癖は、周りからは見えませんが自分の中では障害となって生きづらさを感じさせるのです。


私の表現でいうと、過去のトラウマから発生するネガティブ感情とその時の感覚は、終わってしまったはずなのに脳と心の中に染み込むように残ってしまうことがとても多いのです。


染み込むように残してしまったものをもう忘れて今に集中して、今をしっかり生きられれば、楽に生きて行かれます。しかし、それがうまくできない場合には、この部分に向き合って、過去に終わらせるために、その感情や感覚を受け入れて解放し統合することが必要になります。それがうまくできれば、誰もがみんな自分らしくしあわせに生きはじめられます。


「自分らしくしあわせに生きる」とは、自分が自分の思いをごまかさないで、ありのままの自分を受け入れて愛すということでもあります。


自分が自分をごまかさなくなると、人をごまかし、だますということがなくなります。そうすれば、まず、日本から窃盗や詐欺行為がなくなります。


自分をありのまま受け入れて愛せると、自分の子供や伴侶・家族をはじめとして周りの人を自分と同じように受け入れ愛しやすくなります。そうすれば、自然に日本は平和な国となります。


古来から日本人には、四季折々の季節やその風土から培われた物事の捉え方や考え方、思想、宗教観、道徳観がありました。私は私の担当であるこの専門分野からの日本と日本人の復興のお手伝いを少しでもさせていただきたいと思っています。トラウマ統合療法は、そのための大きな力になると確信しています。


どこにいても、みんながほんとうに安心して暮らせる日本であって欲しいなあ。





★夜明け前は暗い  2010.4.28

一般的に、夜明け前は一番暗いといいます。


物理現象としては、そうではないと思いますが、悪いことの後にはいいことがあるという例え言葉としてよく用いられます。


私は一年前に引っ越してきてから、あまり体調が芳しくありませんでした。しかし、セッションもし、畑仕事もし、日常のこともして、寝込むような状態ではまったくなかったので、一番暗い時というそんな大層なことではなかったのですが、この期間は自分の心の中にあるものについて改めて気づかせてくれました。


それは肉体的なことではなく心のことで、それも、もっと心の奥深〜いところのものを感じることが出来ました。


体調が落ちてくると、今までは元気で何も感じなかったものに自然に気づいてきます。元気だったり、余裕がある時には隠しておけるものも、そうでなくなった時には、自然に表に出てきてしまうのです。私の場合も、自分の心の中の奥の方に残していて、まだ処理が出来ていなかったものが浮いてきて、その存在を強制的に示してくれました。


私の場合、仕事柄方法とコツがすべてわかっているので、自分一人でとても深いところのものも感じることが出来て、自分では処理済みと思っていたがまだ少し残っていた部分を心の法則の通り、感情を感じながら、それをありのまま受け入れるとその思いは消えていって楽になりました。自分の実体験でも、やっぱり理論通りだなと感じ一人よろこんでいました。


気づいて、処理をしたことはいくつかありますが、一つだけ紹介します。(とても恥ずかしいですが・・・)


私には、たまに出るある思い癖があることに気づきました。「出来ない」、「あなたには無理」ということをいわれると、『では、絶対やってやるぞ!!』という思いが強く出ることがあるのです。自分がそう思った時には、今まで全部やって達成してきました。(でも、そう思わなかった時にはまったくやりませんでしたが・・・ f(^_^;))


やってやるという思いは悪いことではないし、私の中ではこれは物事を貫いていくいいことだとその瞬間までは思っていましたが、ふと、絶対とかびっくりマークが二つも付くぐらいの勢いで、強く思っている時の自分のこの感覚って何なんだろうと気になりました。(それぐらい、観念や信念体系は知らないうちにそこに存在しています)


今までもどこかに書いたと思いますが、私の持論の心の法則の一つには、こんなものがあります。


「物事に過剰に反応する時は、そこにはトラウマが隠されている」


そこで、自分の思いを掘り下げてみました。そこには、心の奥の方にまだ残っていた「できない自分はダメ。それを受け入れられない」という思いがありました。いわゆるこれが、「劣等感」です。


で、普段セッションの中で行っている手法を自分に応用し、この思いの部分をただただありのまま感じて、受け入れていきました。


こういったことは、そういうものがあることがわかるだけでも楽になりますが、受け入れていく作業がうまくできるとその何十倍も楽になれるのです。


それからというもの、私の中からいい感じで「絶対やってやる」という思いが消えて、「その気になれば出来るから、やってもやらなくてもこのままの自分でいい」という思いがさらに強くなりました (^o^)


ほんとうに、人間の心の反応はシンプルです。


多くの人が、表面的な心の安定を求めて、心が揺れ動くことを過剰に恐がりますが、根本からの処理が出来ると、もうその思いで悩まされることはなくなるのです。


夜明け前は暗いけど、暗くなると夜が明けます。状態がよくないと感じる時ほど、人が楽になったり、進歩するチャンスなのだと思います。


私は、この世はよりよくなる時や歪んだ流れを正常な流れに戻す時には、一見ネガティブな物事が起こるのだと感じています。でも、変に抵抗しない限り、つらくてもありのままを受け入れて向き合い対処する限り、悪い結果は何も起こらず、よい結果しか起こらないのだと確信しています。


これから、時代はとても大きく変化していくように感じますが、正々堂々と自分らしく気楽に生きていこうと心から思える今日この頃です。





★インナーチャイルドという概念の普及の必要性
  
2009.10.18

今日は、クライアントのお一人が教えてくれたお話から感じたことです。


20代のこの女性は、何回か私のセッションを受けて下さり、自分の感情に向き合いチャイルドを癒すことができて、とっても楽になられました。「もう不安も何も感じなくて、これからの人生への希望しか見えません」と元気にいい笑顔で帰って行かれました。


感情を解放し、自分を受け入れることができた人は、誰もがみんなこのようになってゆかれます(^o^) 私も、「お役に立ててよかった〜。いっぱいいっぱいしあわせになって下さいね」と心から思います。とても、心地のいい瞬間です。


この方のお母さんは、保育の仕事をされているそうですが、セッションを受けていくことで、娘さんがだんだんと楽になっていくのがわかったそうです。それを見ていて、「知り合いの子供さんは病院のカウンセリングを受けているが、抗うつ剤を処方されて飲んでいても何年受けていても何も変わらない。やっぱり薬に頼るのではなくて、あなたが受けている方法のように、自分に向き合って自分で処理する方法でないとダメなんだね。これからの時代は、こういう方法が必要だね」といって、びっくりすることに、子供の頃の心の傷に関する本を読み始めたんですよと教えてくれました。


私は、こう確信しています。トラウマは脳に影響を与えますが、最初の傷は心が受けたので、合成薬品では脳の反応を鈍くすることはできても、心の根本的治療はできないのです。(これをお読み頂いている方で、今お薬を飲まれている方がいましたら、こんな強い表現をして申し訳ありません)


ほんとうは、心療内科でこのような手法も導入していってくれたら、どれだけたくさんの人が助かるだろうかと思いますし、医療保険費の有効活用にもつながるだろうとも思うのです。


それから、出来たら国が教育に従事する方々に、このような手法を一度は受けることを義務付けてくれたら、よりよい教育が行ってゆけると思います。なぜなら、自分の子供の頃の感情に気づくと、子供たちの心の流れや思いがとてもよくわかるようになるからです。


ただ、残念なことに、インナーチャイルドという言葉は、学術用語として認められていません。アダルト・チルドレンという言葉も同様です。


どうもやはり、私の後半生での役割の比重は、インナーチャイルドという概念を普及させるための教育と啓蒙にあるようです。






★フォーカシング・ポノポノ  
2009.10.8

前には触れていませんが、インナーチャイルドの癒しにもホ・オポノポノにも、共鳴(引き寄せ)力を強める作用があります。共鳴力を一番強めるためには、自分の心が浄化されていることが大切です。


ホ・オポノポノではそのために「クリーニング」をします。私の表現でいえば、「過去の感情を解放する」ことです。


そして、ホ・オポノポノでいう「ゼロ」になると、私の表現でいう「インナーチャイルドセンス」が出ると、自然に純粋な思いが強まります。そこから出る心の底からの願望は、とてもパワフルなので、物事を共鳴させて引き寄せてしまうのです。


ただ、色んな人のホ・オポノポノの体験を見聞きしていますと、引き寄せるためにクリーニングしようとしている人がとても多いように感じます。


浄化をしていない心から出てくる願望には、観念や役割、理由付けなどの信念体系がたくさん含まれていて純粋なものではないので、引き寄せがうまくいきにくくなりますし、もしうまくいったとしても、それは埋まらない心を埋めるための願望なので、残念ながらほんとうの意味での心からのしあわせを感じることが出来ず、もっともっとのモア・アンド・モアの際限のない世界にはまり込んでしまいます。


まず一番はじめに必要なことは、引き寄せにより周りの状況を変えたり、願いを叶えようとするより、自分が自分を癒し、愛して、軸を自分の中心に固定して安定させることだと思います。基盤がしっかりしていれば、結果的に自然によりよい安定したものが引き寄せられてくるからです。


人として生きる上で、まずはじめに必要なのは、自分自身の土台造りではないでしょうか。


ありのままのとらわれのない自分でありながら、自分自身をしっかりと確立させる精神的な土台造りのためには、感情の浄化が不可欠だと感じます。また、しあわせ感を感じる元である安心感を心に定着させるためにも、感情の浄化は不可欠なのです。


ホ・オポノポノに関しては、最近、私のところのクライアントの方々にもセッションとセッションの間に行ってもらっています。


体験談がだんだんと集まってきて、ホ・オポノポノの効果が出やすい方のパターンが見えてきました。私の感覚では、感情を感じないようにかなり抑えている人の方がそうでない人より、安心感を感じやすくなるように思います。それは、麻痺をさせて自分を守らないといけなかったので、それだけ安心感を感じるという経験が少なかったのだと思います。


そういう意味では、「男の子は泣いてはいけない」などと子どもの頃から感情を抑えることを教え込まれてきた男性にとって、このホ・オポノポノは適しているように思います。特に、結婚されている方は家長としての役割もあり、変に自分の感情に気づいてしまうと、仕事が出来なくなってしまう人もおられると思いますから、その意味でもホ・オポノポノは男性にとっての最適な方法だと感じます。


では、感情をすごく抑えていない人や男性ほど感情を抑えることを強要されなかった女性の方にとっては、ホ・オポノポノはどうなのかといいますと、これは感情に焦点を当てないようにする方法なので、そういう方には効果が薄くなりますから、一人でも安全に感情も癒してゆく方法が必要になります。


そこで、例によって自分も実験台として色々と試しながら、より効果的な方法を探ってみました。見つけた方法が、フォーカシング+ホ・オポノポノで「フォーカシング・ポノポノ」と勝手に名付けました。


フォーカシングは、体の感覚に意識を向けて、そこにどんな思いがあるのかを感じようとする方法です。体の違和感やなんとなく気になる感覚から感情を拾おうとする療法です。この手法だけを使って心理療法を行っておられる方もいます。


感情や思いは、もう我慢できないぐらいパンパンになっていても気づいてもらえないときには、「気づいて、気づいて」と体に反応を起こして知らせます。わかりやすい例でいえば、イライラや怒りは腰にきやすいですから、激しい腰痛の場合には、そこには怒りが蓄積して腰痛を引き起こしていたという例も多々あります。


心理療法の多くは、この身体感覚という入口を使います。ただ、私が試してもらった方々の体験例では、フォーカシングを行っても、感情を見ないように隠してきた人にはそれを拾うことは難しく、感じることが出来にくいといわれる人も多かったです。


そこで、フォーカシング・ポノポノでは、ホ・オポノポノの四つの言葉をその身体感覚がある部位にただかけるのです。そうすると、身体感覚のところに気づいてもらえないままある感情や思いに、自分を大切にする言葉がゆっくりと伝わっていきはじめます。


ホ・オポノポノをしていても、ただ唱えているだけの感じで、何もわからないという方も多いと思いますが、それはうまく焦点が当たらないままでいるので、言葉が心に入らずに効果が出ないのです。


フォーカシング・ポノポノでの基本的な方法としては、以下の流れになります。

@ 体を感じてみて、何か詰まった感じやモヤモヤする感じや痛い所や何となく流れが悪い感じがする
  所など、何か気になる所がないかどうかをゆっくりと感じてみます。
                             ↓
A 気になる所があれば、そこにどのような思いや感情があるのだろうかと感じようとしてみます。
                             ↓
B 思いや感情がわからない場合には、ただその部位を感じながら、その部位に向かって、四つの言
  葉をかけます。思いや感情がわかった場合は、その部位とそこにある思い・感情を何となく感じな
  がらフォーカシングしていき、そして最後に、その部分に向かって四つの言葉を感情を込めながら
  かけます。


具体例で説明してみます。
まずなんとなく体の感覚を感じてみます。頭、のど、胸、みぞおち、おなかなどの体の中心を感じてみたり、手や足なども感じてみて下さい。すると、「胸の右上あたりに少し詰まったような重たい感じ」がわかったとします。
次には、そこにもしも思いや感情あるいは何か言葉やせりふのようなものがあるとしたらなんだろうか?・・・と感じてみます。すると、「人から大事に扱ってほしい」というような思いがなんとなく感じられたとします。さらにわかるようでしたら、感情も感じてみます。それは「人から大事にしてもらえなくてさみしい」かもしれません。
もしそれがわからなかったら、その胸の右上あたりをなんとなく感じながら、ただそのあたりに向かって、四つの言葉をかけるだけでいいです。それがわかるようだったら、そのあたりをなんとなく感じながら、「人から大事にしてほしかったね。そうしてもらえなくてさみしかったね」とその思いをただただ受け入れて、そして感情を込めながら四つの言葉をそこにかけてあげるのです。


うまく言葉が入ると、なんだかフッと体がゆるんで、安心感を感じます。これが、うまくできた時の感覚です。 


ホ・オポノポノに限らず、一人で行う方法の場合には、どうしても心の深いところにアプローチすることを無意識で止めてしまうので、この方法で根元的な解放をすることは難しいですが、ご自分の感情に向き合って、もう少し軽くなりたいと思われる方は、ちょっと行ってみて下さいませ。






★ホ・オポノポノ その2  
2009.9.12

前回ホ・オポノポノでは、第一段階目の感覚は出るが、残念ながら第二段階目の感覚は出てこないといいました。今日は、ここを詳しく書いていきましょう。


前回も書きましたが、私は人間がしあわせを感じるときに必要なものが安心感なのだと思っています。安心感が深ければ深いほど、しあわせを感じる感覚も強くなります。


ホ・オポノポノでは、自分を大切にするための四つの言葉を使って潜在意識に働きかけ情報をクリーニングして、この安心感を強めていくことが目的だと思いますが、私のいう第二段階目の感覚とは、それよりももっと強い深い安心感のことです。では、このような深い安心感を得るためにはどのようにしたらよいのでしょうか。


色々な方法があると思いますが、私は、「自分の感情に向き合うこと」がその最大の方法だと思っています。


『人間は、感情の生き物である』と表現されるとおり、とてもたくさんの感情を有している生き物が人間です。例えば、どのように精神的なバランスがとれている人であっても、感情はなくなりませんしなくしていません。


周りを見ても、人は感情による体験をするために生まれてきているのではないだろうかといえるぐらいに、日常生活の中でも感情から出てくる表現を毎日続けています。


この人間の特性を見ても、人間の精神活動に触れていくという行為においては、感情を扱わなければ根元的な変化を見ることが出来ないということがわかります。


根元的な癒しを目的としたトラウマ統合療法では、人間にとって決して切り離せないこの感情に焦点を当てて扱います。それは、トラウマ統合療法のページやこのページの下の方でも書いていますように、この心の傷を起因として出てくるネガティブ感情が人間の生きづらさを引き起こす原因だからです。


人は、この感情を感じて苦しまないようにするために、そして愛情をもらって安心したいために、様々な役割や観念を身につけて身を守ろうとしていきます。


しかし、その原因となる親と一緒に暮らさなければならない生徒・学生時代には、それ以上傷つかないようにするために、その方法は必ず必要だったのですが、親から離れてもう身を守る必要がなくなった時になっても、この役割や観念を手放せないでいると、自分を生きるのではなく、周りの目や評価を気にしながら、自分が傷つかないようにするためだけに生きていくことになってしまいます。実は、そうしていることにすら、気づいていない人がとても多いのです。


自分の感情に向き合うと、不思議なことにまったく自然に自分自身を受け入れ愛することができるようになります。傷ついた思いと感情が強ければ強いほど、それに比例して自分がいとおしくなり、愛する度合いも高くなるのです。


私は、心の奥の今まで残してきた深いところの感情が出てきて、楽にならなかった人を知りません。はっきりいえますが、この流れが出てくると、その人は100%必ず楽になっていきます。


そして、自分が自分を愛するようになるので、とても深い安心感が出てきて、過剰に身を守る必要がなくなり、自然に役割や観念あるいは罪悪感も消えていってしまいます。私が長年この仕事をしてきてはっきりとわかった真理は、このことなのです。


ホ・オポノポノという手法は、この感情を相手にしないようにできるだけ機械的に進めていきます。なぜなら、一人で行う方法で深い感情が出てしまったら、この感情に飲み込まれてしまって、どうすることも出来なくなるし、その前にもブロックがかかって一歩も進まなくなることもあるからです。(ヒューレン博士もブロックがかかるから、インナーチャイルドについて深く説明をしないし、出来るだけ感情が出ないように機械的にするのだと話していたと教えてくれた人がいます)


では、なぜブロックがかかるのかというと、人間は小さな子どもの頃の純粋で繊細な感覚を持っているときに傷つくので、これは最初で最大の痛手となり、その時の「自分が無くなってしまう」、「死んでしまいそう」、「バラバラになってしまう」、「世界中でひとりぼっち」、「自分は完全にいらない子」などの思いと感覚が脳に染みついてしまい、その時の「とても悲しい」、「とても寂しい」、「とてもつらい」などの感情が心に深い傷をつくり、そこに残り続けていくのです。


そして、この感覚と思いに触れそうになると、無意識に心にブロックをかけてしまいます。


実は、世の中の多くの人が、子どもの頃のこの感覚をてっきり大人になった自分が持っているものだと思いこんで、それを見て整理・処理するのを恐がっています。


でも、ほんとうは子どもの頃の純粋で繊細な感覚の時に持った思い・感覚ですから、今の大人になった自分は子どもの頃よりもはるかに強くなっているので、この部分を見てもきちんと受け止められて対処と処理が出来るのですが、いつまでも子どもの頃の感覚である幻想をがって、そこに向き合って見ようとすることをしないのです。


こんな風に多くの人がこの幻想から自分で出ないようにしています。幻想をがらずに向き合ってしまえば、長年の呪縛から解放されて後はもう楽になってしまうこと以外何も起こらないのに・・・。


こうやって、とてもたくさんの人が幻想から抜け出せていないのが、現代という時代です。ここに向き合わないから、人心が乱れ、いがみ合いが増え、不信感やねたみや恨みが蔓延して、事件がたくさん起こるのだと私は感じます。


私の仕事は、深い心の傷を見たときに出てしまう心のブロックをはずすことです。ブロックさえはずれてしまえば、感情に向き合え後は楽になることしか起こりません。


自分を好きになり、受け入れ、許し、愛する人が多くなればなるほど、この世の中はどんどんよくなります。


現場での多くの実例から、感情に向き合えば、人が根元的に癒されてしまうということがわかってしまった今、私の願いは、出来るだけ多くの人がまず自分自身に向き合うということをしていただきたいと思うのです。


自分を自分が癒して安定してくると、身近なパートナーや家族との関係がよりよく変わります。そして、家庭が平和になると自然と世の中が平和になっていきます。


私は、そのためにはホ・オポノポノは、とりあえずその前段階をつくってくれるものだと感じています。そして、第二段階の根元的な癒しに進みたいと思う方は、是非私のトラウマ統合療法やインナーチャイルドを癒すという手法を行っている納得のいくセラピストのセラピーを受けてみて下さい。


日々ホ・オポノポノをしながら自分自身に声がけをし、そして、さらに心の深い部分にアプローチするセラピーを行えば、根元的に楽になるスピードが飛躍的に上がりますよ。そして、楽になってしまったら、これからずっともう後戻りすることはないのです。


もう幻想から抜け出して楽になりましょう。ほんとうの意味で、自分自身に向き合ってゆきましょう。


本来この世界は平和で明るいものです。


世界が平和になるためのカギは、『あなた自身』なのです。






★ホ・オポノポノ その1  2009.8.18

今、ちまたではやっている簡単な癒しの方法があります。ハワイから来たインナーチャイルドを癒す方法で、『ホ・オポノポノ』といいます。


このホ・オポノポノでも「インナーチャイルド」という言葉をはっきりと使っていますが、インナーチャイルド統合療法でいう「子供の頃から大人になるまでのこと」とは少し違って、「自分自身の記憶だけでなく、宇宙の誕生から今日までのすべての生命体の記憶が蓄積されたもの」と表現しています。


昨年ぐらいからクライアントさんから聞いていたので、最近、私もこの方法を自分でやってみました。(自分が感じたことしか、自分にとっての真実はありませんから、とにかく、自分で試してみないと気が済まないのです(^_^;))


感想は、私のいうインナーチャイルドの癒しと原理はまったく同じだなあという思いと、簡単に出来るよい方法だなあと感じました。これから、この方法はもっともっと広がっていくだろうなと感じていますし、広がるといいなと思っています。


今日は、このあたりをあくまで個人的な意見として書いてゆきましょう。


ホ・オポノポノの方法は、とても簡単です。「ごめんなさい。許して下さい。ありがとう。愛しています。」の四つの言葉をただただ唱えるだけです。


そういうと、今までも「ありがとう」と唱えるのがいいとかなりはやりましたが、実は似ているようでまったく違うものなのです。それは、自分自身に向かってその言葉をかけるというところが違うのです。


「それが違うことでどうなるの?」といえば、まず自分が自分を大事にしなければ、自分が自分自身の味方になって、自分のことをわかってあげなければ何もはじまりません。なぜなら、自分という存在にいつもいつもどんな時にもそばにいるのは、自分しかいないからです。


自分が自分を大事にして、愛することが出来たら、誰がわかってくれようがくれなかろうが、自分は自分のことをちゃんとわかって愛しているのだから、もうそれだけで人はしあわせ感を感じやすくなります。


それと、自分が自分を愛することで、深い安心感が生まれます。この深い安心感を感じた状態こそが、人間がしあわせを感じる根本の状態だと思います。


そして、実はこの深い安心感を与える役割の人が、「母親」なのです。


10ヶ月ちょっとおなかの中にいて、生まれてからもおっぱいをくれて、スキンシップをとってくれて、おしめを換えてくれて、心地のいいと感じることを最初にしてくれるのが母親なのです。


赤ちゃんの頃に、これを十分にもらって、その後大きくなるにしたがってももらえた人は、母親からの深い安心感が心の奥に定着していきます。この人は、母親から離れて大人になっても安定した人となります。それは、心の中に深い安心感がなんとなくいつもあるからです。


ただ、残念なことに、母親からこの深い安心感を心に定着するまでもらえた人が実は、今の日本にはたくさんいないのです。


だから、これをほんとうに自分でも気づかないうちに、親からもらおうとして親離れできていない人や親からもらえなかったものを他の人や物や出来事などからもらって満たそうとしている人がとてもたくさんいます。私は、日本の90%以上の人が気づかずにこのパターンにはまり込んでいると感じています。


そういう意味で、トラウマ統合療法やホ・オポノポノのように、もうもらえない、もらえなかったものを自分が自分に与える必要性が出てきます。なぜなら、もう出来事は過去に終わってしまい、親からもらう適切な時期は過ぎ去っていて、過去を変えることは出来ないからです。


親からもらいたかったものを自分が自分自身に与えるという行為で、深い安心感が心の中に定着すれば、もう過剰に自分以外の人や物や事から与えてもらおうとすることも、それで過剰に心を埋めようとすることも必要がなくなります。自分で自分に与えられると、自分の中で完結して、安心感が強まり、安定した人となっていきます。(だからといって一人になることはなく、自分が自分を愛している状態で、人とつながれるとなおしあわせです)


そのために、ホ・オポノポノでは四つの言葉を使います。提唱者のヒューレン博士はおっしゃていませんが、この言葉の奥にはこんな事が隠されていると感じます。


親から、自分が満足する形で深い安心感をもらえなかった人は、親のやり方に比例して、自分が自分を大事にしなくなります。だから、大事にしてこなかった自分自身に、自分をほったらかしにして、大事にしなくて「ごめんなさい。許して下さい。」


それでも、そんな環境の中でも今無事に生きてこられているのは、苦しいながらも何とかがんばって生きてきた今までの(子供の頃の)自分がいるから、その自分にがんばってきてくれて、無事にいてくれて「ありがとう。愛しています。」・・・なのです。


こんな風に、四つの言葉は理にかなっています。ホ・オポノポノを知らないという人は、本が何冊か出ていますので、読んでみて下さい。そして、ちょっと実行してみて下さい。うまく四つの言葉が心に入ると、なんだか安心感が出てきます。これが、チャイルドが癒された時の一段階目の感覚なのです。


ただ、残念なことなのですが、一人だけで行う方法では一段階目の感覚で止まってしまいます。このあたりの二段階目の感覚につきましては、次回に説明しますね。


でも、ホ・オポノポノがいいのは、自分一人で好きなときに好きなだけ、いつでもどこでも行えるというところですね。それだけ、自分に向き合い、自分を大事にする時間が長くなります。





★マトリックス  2009.8.15

こころの傷を残したままの人は、過剰な反応を示す。


もうこれ以上傷つかないように、周りを気にして自分の方に向いてもらうために、過剰なほどに人に合わせる。


もうこれ以上傷つかないように、周りを気にして自分に注目してもらうために、過剰なほどに人をコントロールする。


うまく自分に向いてもらえると、過剰によろこび。


うまく自分をわかってもらえないと、過剰に怒ったり、過剰に悲しむ。


自分に向いてもらうため、わかってもらうため、「出来る自分」に成り続けようとする人もいる。


うまく「出来る自分」を示せなくて、さらに自分の価値をなくして、自分を落とし続ける人もいる。


人は、いつまでこのマトリックスの中にはまり続けるのだろう。


自分で出ないようにしている(・・・・・・・・・・・・・)このマトリックスの中に・・・。





★引っ越しの心の面における意味
    2009.8.1

ここ中国地方もまだ梅雨明けを迎えず、安定しない天候が続いています。


皆様はいかがお過ごしでしょうか?


今日は、引っ越しのことについて書きましょう。 


今回の引っ越しは、家を購入してのものでした。物件を見てから、購入するまでがとても早いスピードであれよあれよという間に話が進んでいきました。


自分の思いをしっかりと感じるというのがモットーの私が、家を購入するという大きな流れなのに、しっかりと納得しながら、時間をかけて細部の確認が出来ないまま何かに動かされるように進んだのでした。普段の物事を慎重に決定する私では、絶対に想像も出来ないことで、何か私の思いを超えるものに動かされたような、とても不思議な感じでした。


いったいこの状況は、何なんだろう?・・・と、しばらく感じて、わかったことがあります。


それは、今住んでいるこの場所から、亡くなった父のお墓が車で10分ぐらい行った所にあるのです。どうもやっぱり、この父に引っ張られたとしかいいようがありません。ここでは書きませんが、不思議としかいいようのないこともいくつかありました。


不思議な話はさておいて、地に足を着けた現実に目を向けると、こころのこと・精神面では、父親とのつながりもしっかりと持ちなさいというメッセージだと思います。


母、兄、私の私たち家族は父の死後、母方の実家に行き、兄は旧姓のままで残り、私だけがそこの跡取りとして養子となりました。父は3歳の頃に亡くなったので顔も覚えてなく、私の心の中には父親という存在がありませんでした。また、私は養子となったことで、なんとなく父方の親戚とも疎遠になって行きました。


そんな私がインナーチャイルドを癒すことで、本当は父が大好きでつながりをたくさん求めていたことに気づき、そんな自分のチャイルドを癒すととてもとても生きやすくなったのです。


でも、チャイルドは癒しましたが、父親とのふれあいを物理的に知らないので、私の中での父親というものの存在のなさは前から比べるとかなり少なくなりましたがそれでも残っていました。


今回の引っ越しの意味は、こうやって父親のお墓と父が生まれ育った隣町の土地にふれることで、「父親とのつながりを完全に取り戻しなさい」ということのように思えてなりません。


私は、母親とのつながりはしっかりあります。でも、父親とのものがもう少し足りません。どちらかの親とのつながりがないということは、身体や精神の半分をなくしていることと同じだと感じるのです。それは、自分の中の父性と母性ということも出来ると思います。男性エネルギーと女性エネルギー、陽と陰のバランスということも出来ると思います。


子供の頃に読んだ本に書いていた文章を思い出します。それには「父と母を愛せない者は、調和のとれた完全なる存在にはなれない」という感じのことが書かれていました。何だか今でも覚えています。


今のようにインナーチャイルドに関わる仕事をしていてもそう思います。世界中で一人ずつしかいない血のつながった父親と母親と仲良くなれないということは、その二人の間に生まれた自分の存在自体を否定していることにつながるように感じます。


でも、この文章を読んで下さる人の中で、私は親が嫌いだという方は心配しないで下さい。


親が嫌いということは、別な見方をすれば好きになれることをしてくれなかったということなのです。子どもは受け身の存在だし、親からの保護を必ず必要とする守られるべき存在なので、子どもが親を好きになれるような当然の接し方を(愛情があっても)親がそれをうまく表現して、子どもに伝わるように態度に示すことができなかっただけなのです。


愛情を自分が満足する方法で与えてもらえなかった子どものこころは、当然のことに埋まることがありません。


親を好きになるためには、まず親との関係で持ってしまったネガティブ感情を解放することが大切です。ただし、重要なことが一点あります。その思いを直接親にぶつけては絶対にいけません。ある本には親と対決するということを書いているものもありますが対決などしなくても大丈夫なのです。


解放しきれなかった過去の感情は、一人だけで徹底的に解放して下さい。解放し切れると、不思議なことにもう感情はなくなってしまうのです。感情とは、そういうものなのです。


特に、親との関係では、嫌いと感じるネガティブ感情を解放してなくした後の心の奥には、ほんとうは親が好きという思いがあります。好きだからこそ、それだけ嫌いになるのです。


変な表現に聞こえるかもしれませんが、ほんとうは過去の自分が溜込みはじめて今にも持ち越して持っているネガティブ感情ですから、今の親に表現してはダメなのです。昔(過去)の親にもった感情を今の親に表現しても消えきらないのです。それどころか、どこかで罪悪感が出始めます。罪悪感を感じることをすると、自分が自分を傷つけてしまい、この方が大変なのです。


私が、なぜわざわざ過去に終わったはずのことをトラウマ統合療法として扱うかというその理由が、このあたりに隠されているのです。


今は、よく父のお墓の近くを車で通ります。その時私は冗談半分で、「パパ〜」といってお墓のあたりに向かって手を振ります。〔結構冗談好きなのです(*^_^*)〕それを横で見ている妻は、「よかったね。前は父親のことでそんな風に絶対しなかったし、お父さんのこともあまりいわなかったね」といいます。


この引っ越しは、私にまた根元的なことを教えてくれました。これは、私の精神面において父親・父性・男性性と完全につながるための引っ越しなのだろうと思います。


親父、ありがとう!!ちょくちょく、お墓参りに行くからね。





★引っ越ししました
  
2009.5.27

久しぶりの更新となります。


4月30日に引っ越しをしました。今月は毎日おもに家の準備で忙しくしています。かなり古い家だと思っていましたが、この家は築60年だということが引っ越してきてわかりました。f(^_^;)


自分たちで手を入れないと行けない所がたくさんある家ですが、手入れ後にはとてもいい感じになるというイメージがしっかりとあります。(^o^)


今は、左官屋さんになったり、建具屋さんになったり、色々と忙しいですが、生活をするという基本のところが見えてきて感じることがいっぱいあります。


それらのことも、徐々にこのページで書いてゆきたいと思っております。


さあ、次はどこをしないといけないかなあ。





★体験  
2009.2.9

今年はすることが色々あります。その一つに、引っ越しが入っています。


これからの人生を感じている中で、色々なビジョンが出てきています。ここのページでも書いていますが、出来るだけ土に根付いた生活をしたいという思いも近年ふつふつとわき上がってきていました。


そんな思いから、自然がたくさんある場所へと引っ越しをしようと考えていて、物件探しも本格的にしています。先日も家を見に行きました。今回はその時に気づいたことを少し書いてゆきましょう。


今は便利なもので、インターネットで物件の検索をして、何件かの物件をチェックします。間取りと敷地の広さ、その周りの環境の写真を見て、次には住所と家の写真や物件概要を参考にグーグルアースで実際の物件を航空写真で探して、地形や隣家の状況まで確認して見学に行きます。


資料上での情報がたくさんあっても、実際に行って見てみないと気づけないことがたくさんあります。家の状態、敷地の状況、庭や畑の状態はもちろんのこと、家の中の雰囲気、敷地内の雰囲気、地域の感じ等々、これらは体感体験することでしかわかりません。


そして、もう一つ、自分たちがどのような環境に住みたいのか、どのような家の雰囲気を望んでいるのか、どのような内装の環境に住みたいと思っているのか、どのような家にわくわくするのか、行って見ることで漠然と頭にあったものがはっきりと焦点が当たって、自分が理想としているものや事がどんなことだったかに気づきます。


この部分がとっても大切なことです。てっきりわかっていると思っていたここの部分に体験することで色々と気づきました。そして、改めて「体験しなければ何事もほんとうの意味ではわからない」ということを物件探しの中から教えられました。


そして、この『体験』をきっちりと完結させるものが『感じる』ということであります。体験したことをしっかりと感じきるということをしなければ、その体験は体験として完結しないのです。


これをセッションに置き換えてみると、見えてくることがあります。ここのところが世の中の多くの人がなぜ生きづらさを感じて、しあわせになりきれないかという原因の部分です。


過去の家庭環境や様々な出来事からの体験は、もう過去に終わってしまったのでてっきりもうなくなってしまったと思っていますが、その時の感情を感じきるという処理をしていないので、体験が完結されていないのです。


体験が完結されれば、その体験は大切な思い出へと変わります。体験が経験となって、精神的にも霊的にも自分の幅が大きく広がってゆきます。


人間は、このように「体験」をするために、今ここに存在しているように感じます。





★おなかの中のいのち  2009.2.3

先日のこと、妊婦のクライアントさんが来られました。妊娠7ヶ月ぐらいで、エコーで見て男の子だとわかっているとのことでした。


いつも通りセッションを行っていて、その途中に、これもいつも通りそのクライアントさんの状態を第六感といいますか、独特の感覚でふ〜〜っと身体全体の流れを感じてみました。


今までも、妊婦さんは何人か来られたのでいろいろな感覚がありました。大体、おなかの赤ちゃんは、お母さんとはまったく別なものすごく強いエネルギーを感じて、光っているように感じられるのです。


でも、この赤ちゃんはおなかの辺りが暗くて黒い感じがするので、びっくりして「おなかの赤ちゃんは元気ですか?」と思わず聞いてしまいました。


「元気で、よく動きます」のお返事を聞いて安心したのですが、普通の状態ではないので色々とお聞きしてみました。


そして、なぜ暗くて、黒いイメージなのかがわかりました。


ご主人の家系は男の子しか生まれないような家系だということで、上が男の子なので、ご主人は「女の子が欲しかった」ととてもがっかりされているそうなのです。


そうです。この子はそれをちゃ〜んと聞いていて、もうおなかの中で「自分はいらない子なんじゃないか・・・」と思い始めていたのです。


おなかの中の赤ちゃんはすべてをちゃんと感じています。お母さんの思いだけでなく、お父さんの思いもストレートに感じているのです。


セッションでおなかの中にいた頃を感じてみると、多くの人がおなかにいる時にもう周りの人の色んな思いをはっきりと感じていることに気づきます。これは、私自身も体験しているので、その感覚がよくわかります。


このクライアントさんには、「おなかをさすりながら、おなかの赤ちゃんにこのようによ〜〜く伝えてあげて下さい。『あなたのことがとっても好きだよ。ここに来てくれてありがとう。男の子でよかった』と。そして、ご主人にもおなかに触れてもらって、同じようにいっぱい思いを伝えてもらって下さいね」とお伝えさせていただきました。


いのちは、おなかの中にいる時からもう色んな体験をしているのです。


おなかに赤ちゃんがおられる方は、その子への心からの思いをいっぱいいっぱい伝えてあげて下さいね。





★新しい流れ  2009.1.1


あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


今まで長い間この仕事に携わってきて、クライアントの皆様からほんとうに大事なことを気づかせていただいてきました。


私一人の人生では到底体験しきれない人生体験にセッションの中で同伴、共有させていただくことで、人間にとって何が大切なことかその本質に気づかせていただきました。


今の私があるのも、皆様のお陰です。セッションをお受け下さった皆様、ほんとうにありがとうございます。


皆様のおしあわせをお祈りいたしております。

                


昨年は、世界的な金融危機が起こりました。2009年は、さらに様々な方面へと大きく波及していくことと思われます。でも、不安にならなくていいと思います。


旧来のシステムが新しいシステムへと転換しているだけですから。


たとえば、自動車関連の方には大変申し訳ないのですが、トヨタ自動車が赤字に転落したことをとってみても、あそこまで自動車が必要な社会の方がちょっとおかしいのではないのかと感じます。車は便利で大切なものですが、買い換えるサイクルがとても早かったり、一家に何台も車は必要ないと思います。外国での需要の減少を契機に日本での需要状態とその内容も見直してゆくことが必要なのではないでしょうか。


そして、かたや人間にとって一番大切な食に関しては、日本の食糧自給率が40%を切るぐらいになっています。穀物自給率でいえば、29%ぐらいのようです。外国からの輸入に頼るのではなく、まず自分たちの足下を固めることが必要な時代です。


そういう意味では、地方の農村では過疎化して農業を継いでくれる人がいなくて困っているところがたくさんありますから、派遣社員で契約が出来ずに大変な思いをされておられる方々など仕事に就けなくて困っておられる人が、農業などの第一次産業へと入ってゆかれれば需要と供給も相まってとてもいい流れになると思います。


私も、そのようなシステム転換のお手伝いでしたら、できるところでたくさんお手伝いが出来たらなあと思っています。


これは一例として、今年からこのような新しい流れがあちこちで少しずつ芽吹きはじめるのではないかと感じています。旧来のシステムから新しいシステムへと。


私自身も今年は新しいシステムを創っていこうと思っています。それは、今まではセッションで個人だけを対象にしていたところから、多人数を対象とするワークショップへとです。


どうも、私の直感では人の集合意識(意識場)が変わってきているように感じるのです。よい流れが出てきていて、よりよく変化していく流れが加速されつつあるように感じています。


そこで、妻と一緒にそのよい意識場の方へと向かうためのワークショップも行ってゆこうと思っています。


ただ自分を開き光に向かうことで、光の恩恵をもらえて光に同調してゆける人もいることでしょう。光に向かうことで、自分でわからないようにしてきた自分の中に取り残してきたものに改めて気づいてゆく人もいることでしょう。
こちらの詳細はまた、お知らせのページに載せていきます。どうぞ、よろしくお願いします。


今年は、私も私の本来の使命をどんどんと積極的に果たして行こうと思っています。


皆様にとられましても、今年が平安で光に満ちた年となられますことをお祈りいたしております。





★いのち本来の道
  2008.12.15

先日、もう何年も前に買っていた本を読んでいて、改めて感銘を受けたのでそのことをちょっと書きます。


著者は、九州の高校の物理の先生ですが、ずっと禅の修行もされていた、ありのままで無駄な力の抜けたすべてのことがよくわかられている素晴らしい方です。


立花大敬(たちばなだいけい)さんといわれます。


大敬さんは、たくさんの本を出されています。その中には、思いを実現する方法も書かれています。


よく自分がどうなりたいのかその状態をイメージ化するのがいいといいますが、大敬さんはそれを「心をぐ〜っとゴムひものように伸ばして、手に入れたいものやなりたい状態にそれをくくりつければ、自然にそこに引っ張られてゆきますよ」とおっしゃいます。


そうやって、大敬さんご自身が高校の教員採用試験に合格されました。でも、すごく不思議な話で、友達から新聞広告で物理の教員を募集していると聞いて、学生運動の頃の大学で形だけ理科の教師の免許をもらっていたので、物理の教師を志願して応募し、面接に行くと、はじめに採用テストをするということでした。


ここで、大敬さんは「すみません。物理は勉強したことがありませんから、テストは受けられません。入ってから勉強しようと思ってました」と素直にあやまって、面接も受けずに帰ってきたらしいのです。


でも、たくさんの応募者の中から大敬さんが合格採用になりました。学校には、絶対に何かの間違いだからと、三回確認をしたそうです。


大敬さんがしたことは、「校舎に夕陽があたって、窓ガラスがオレンジ色に染まって輝いている。私は校庭からそれをゆったりとながめている、といったイメージをすると、どういうわけかそのイメージが生き生きと描けるものですから、そのイメージにゴムひもをしっかり結びつけただけでした」と書かれています。(「心はゴムひも?!」大敬先生《しあわせ通信》第一集 本心庵発行)


さて、今回のタイトルはといいますと、その大敬さんの《しあわせ通信》第三集「ひとついのち」からのものです。


大敬さんは、座禅をされている時や夜寝ている時に、よく天恵ともいうべきメッセージが降りてこられるようです。


実は、大敬さんと比較することがおこがましいのですが、私も夜寝ている時に色々な気づきをしています。ただ、私の場合は天恵というよりも突然の気づきという感じです。


考え事や悩み事がある時には、必ず夜中にふと目が覚めてその事への答えや心持ちをどうしたらいいのかなどにはっきりと気づきます。そうすると、もうその瞬間から、その事は問題ではなくなってしまって、意識の転換が起こってしまいます。


もうずいぶん前から、そうやって生きてきました。これが起こることで、生き方と道が示され助けられてきました。正直何がどうしてそうなるのかは、自分でもわかりませんが、ほんとうにありがたいことです。


ただ、私はそれを悩むことで気づきが出て、道が示されるのだと思っていました。だから、どこかで問題にぶち当たることでたくさん悩むことは大切なのだと、自分で思っている以上にそれをつかんでいたようです。


確かに問題に向き合って悩んで感じてゆくことはとても大切なことです。この三次元での人生は、忘れていても自分で選択した自己責任の世界ですから、逃げてばかりで向き合わなければ、何も始まらないし何も動いてこなくなってしまいます。


でも、「壁にぶつかることで成長する」があまり行き過ぎてしまうと、難が起こらないと悟りがないと思っていることになります。そうすると受ける必要のない難も自分から引き寄せてしまう可能性も出てきます。


大敬さんはいわれます。「おれは悟ったなんて、いばったら笑いものです。それは、その人が今まで迷っていたということの裏なんですから」


はじめから「いのち本来の道」にちゃんと乗って生きられていたら、悟るも悟らないも何もなく、すべてが難なく流れてゆくのでしょう。そんな生き方ができたらとってもいいですね。これが人本来のバランスのとれた生き方なのでしょう(*^_^*)


このことで思い出したことがあります。子どもの頃にはよく母から、勉強しないでいると「今に頭を打つからね」とやんわりいわれていたことを・・・。


子どもの頃の私の潜在意識は、それを「頭を打つことで成長するんだ」とかつては捉えていたんだと思います。そして、その奥には愛情をくれる母のいうことを聞かない自分は「頭を打つことで自分を罰しないといけない」という思いも持っていたのかもしれません。


親からの接し方がその子の自己イメージや信念体系を最初に形作りはじめます。


この文章をお読みくださっているお母さん方は、子どもさんへの言葉がけには十分に気をつけてくださいね。


ちなみに、こんな本もあります。「『子どもを追いつめるお母さんの口癖』金盛浦子著」親が日常何気なく使う言葉もたくさん出ていて、改めて気づかされます。ただ、今は絶版になっているようですので、ご興味のある方は図書館などで借りてみて下さい。





★闇
  2008.9.30

私はある意味とても変わった子どもでしたので、小学生の頃からキリストや仏陀のように聖人になりたいと本気で思っていました。


そこに近づくために、色んな欲を減らそうと、食べる量をかなり減らして食欲までコントロールしようとしたこともありました。食欲は完全に抑制できるぞと一人悦に浸っていた時期もあったのを思い出します。


そんなだった私が今感じることは、正も濁もあるのが人間なので、そのそれぞれをただ受け入れていけばいいんだと感じています。


今では、聖人に近づこうと強く思うところの一部分には、実はトラウマが隠されていたことがわかります。価値がないと感じていた自分から価値があると感じられる自分になるために・・・。


今では、きれいも汚いもすべて受け入れて統合して、成長していくのが人間の姿であり、目的であるように感じています。


そして、環境においても、経済においても、人間が営んできた近代のやり方の歪みからの汚れが出始めています。自然環境の面ではずいぶん前から、はっきりとわかる形で出てきていましたが、ここにきて経済面での噴出が始まりました。


もう報道でもわかる通り、米国のサブプライムローン問題から、引き金が引かれて世界的な経済の大変動が来そうです。


大きな価値観の変更や慣れ親しんだ生活からの変化など、かなり大きなものになる可能性がありますが、過剰な心配はしなくていいと思います。この汚れをまともに体験するのであれば、それを受け入れることで、人類はもう一つ成長していくのだと思います。


これは人間が人間らしい生活に戻っていくためのとても大きなチャンスです。


人間らしい生活とは、生活のすべてに関して、できるだけ自分の手でまかなっていくことだと感じています。土に根付き自分で食べる食べ物はできる範囲で自分で作るとか、自分で使うものが壊れたら自分で直すのです。


そうすることで、大量生産大量消費の使い捨ての生活からは感じられない、ほんとうの意味でのもったいないという言葉がわかるし、食べ物や物、自然の恩恵のありがたみを感じて大事にできるようになるのではないでしょうか。


かなり前に、ある小学校の授業の一環で食用の豚を殺して解体するというものがあったと本で読んだことがあります。


こうやって自分が体験するからこそ、心から色んな感情や思いを感じることができるのだと思います。「こんなかわいそうなことなら、もう豚は食べない」という子もいるでしょう。「豚肉は好きだったが、もうこれからは大切に食べる」という子もいるでしょう。


私も屠殺の経験はなくて、そんな味わったことがない私がいうのも何ですが、体験し味わうからこそ、生き物(動植物)を食するというその尊さをさらに感じられるのではないでしょうか。〔こわいですが、一度機会があったら私も体験してみたいと思っています〕


人間は、自分が味わって感じなければ、深いところからの心の動きが出てきません。頭だけの思いでは、心は変化しないのです。これは、トラウマ統合療法においても、まったく同じ事がいえます。〔この部分だけはよくわかります(^_^;)〕


かつて共産主義の崩壊を当てた、経済の動向がよく見通せるといわれている経済学者のラビ・バトラさんは、2010年前後に資本主義は崩壊して、その後に日本で新たな理想的な経済システムが生み出されるだろうと予測しています。


それは、1950年から1975年までのバランスのとれた経済成長を経験してきた日本だからこそ創りあげられる経済システムだといいます。


資本主義でも共産主義でもない、貧富の差をつくらないみんなと共生していくシステムだそうです。


バトラさんは、直接いっていませんが、私は人々が一時的な痛みを感じるからこそ、人と仲良くし共生していく大切さが心の底からわかってくるのだろうと思っています。


トラウマ統合療法の現場からも、自信を持ってまったく同じことがいえます。それは、過去の蓄積して抑圧してきたネガティブ感情に勇気を持って向き合って解放した人こそ、100%全員、その人自身が驚くぐらいに楽になって自分を愛することができ、人生を生き直しはじめるからです。私は現場で、そんな人をたくさんたくさん見てきています。


過剰に悲しさやつらさなどネガティブな感情を恐がらないでください。今までみんな知りませんでしたが、実はそれは人間を光へと導くひとつの入り口だったのです。


これからのことも、恐がらなくても大丈夫ですよ。心配はいりません。闇のように見えるものの奥には、ほんとうは光があるのですから。






★溜め込んだものの解放の仕方
  2008.7.10

私の知り合いの人や友人など、近くの人も遠く離れた人も、このところ何か変化が起きている人がたくさんおられるように感じます。


皆様は大丈夫でしょうか?


みんな心の変化が多いようです。心の変化とは、ため込んできた感情が浮いてくることです。


今回は、簡単なため込んできたものの出し方をお伝えしてゆきたいと思います。


まず、「怒り」が出てきたときには、腹が立つ対象の相手に出すと事が大きくなったり、罪悪感が出てきたりしますので、その相手に出すのではなく、ご自分一人で発散してください。


その場合には、「相手を傷つけるためではなく、自分自身のために、自分を楽にするために、発散として溜まった感情を解放するために行う」ということを始める前に心の中で思うことが大切です。(そうしないと、呪いになってしまいますから)


そして、例えば新聞紙を丸めて床に叩きつけるなどしてみてもいいですよ。いいたかったけどいえなかったことは、紙にいっぱい書き出してみて下さい。そうすることで感情は解放して、いったん落ち着いてゆきます。


それだけ、その相手の人に反応が出るということは、実は心の奥のほんとうの声は、『あの人と仲良くなりたい』といっているのです。


ですから、止めようのない怒りを発散、解放した後では、心の中で『あなたとほんとうは仲良くなりたいと思っています』とか『あなたのしあわせを願っています』とか、ただただ『ありがとう』と祈ったり、思いを送ってあげて下さい。


人の思いは、エネルギーですから必ず、相手の人に届きます。


だけど、相手の人が変わったかどうかは、気にしないで下さい。相手を変えるためではなく、ただただ自分の思いを純粋に送ることが目的ですから。相手を変えようとすると、今までのようにコントロールゲームが始まってしまうのです。


また、「悲しみ」が出るときには、我慢せずに泣いて下さい。泣くことは、最高の浄化ですから恥ずかしいことなどないのですよ。


感情は消えるために浮いてきます。解放していった感情は消えてなくなってゆきます。 だから、心配しないで下さいね。すべては心を浄化してゆくための順調な流れですから、ご安心下さい。


それから、人によっては霊的な影響や人や場の影響を受けてしまいやすい人もおられます。


そのときには、ネイティブアメリカンが浄化や儀式で使っていた、植物のセージを乾燥させた「ホワイト・セージ」を使ってください。私も仕事柄、色々使って試しましたが、このホワイト・セージはおすすめです。


それから、緑の多いところへ行って、新鮮な空気を吸いながら、裸足になったり、芝生の上に仰向けに寝転がったりして、アースをするのもよい方法ですよ。


畑がある人は、自家農園を始めたり、小さな庭でも、植物を植えたりして大地にふれて下さい。


「大地と緑」にふれながら生活してゆくことが、人間にとってはとても大切なことで基本的なことだと感じるのです。


そして、自分一人では、すぐに解放しきれない感情が浮いてきたときには、ぜひトラウマ統合療法を受けてみて下さい。かなり速いスピードで、心の奥の方のものまで解放できて、劣等感や罪悪感や自己否定感などの感情を感じてゆくことを止めてしまうような深いものまで、消えてなくなってしまいます。


これからの時代、経済や教育や環境問題等々、旧来のシステムからまったく新しいシステムへととても大きく転換、変動してゆくと思います。


もしも今、溜め込んできた感情が浮いてきてしんどい方は、それを解放して手放してゆく大きなチャンスです。


どうぞ、恐がらずに、ゆっくりでいいですから、そこに向き合ってみて下さい。しんどいときこそ、成長するチャンスですから、安心して下さい。


今は、心を浄化してゆく大切なときです。


あなたのおしあわせをお祈りいたしております。





★こだわりをなくす  2008.6.30


私はこう考えています。


我々はここに、精神的、霊的な成長をするために、感情を伴った様々な体験をするために、そして、それらの精神活動の中でよろこびを見いだしながら、生きている「今」を味わうために存在しているのだと思っています。


よろこびながら今を生きるためには、こだわりをなくすことが大切だと思います。


また、こだわりをなくすことは、ありのままを受け入れることと同じだといえます。


私にもまだ色んなこだわりがあります。てっきりこれはこだわりではないと思っていたものが、気づいてみると、実はこだわりだったりします。


「ありのままを受け入れる」ことも「ありのままを受け入れなければならない」となると、一瞬にしてこだわりへと変わってしまいます。


こだわりである「正しさ」が大きくなってゆくと、自分と違うものを排斥し、争いが起こり、戦争へと発展してゆきます。


「正しくなければならない」もこだわりなのです。


誰の心の中にもある、自分自身でも汚れと感じる部分や触れたくないと感じる部分を正しくなければならないにより、悪いものだから、いらないものだからと、押さえ込んで抑圧してしまうと、いつか必ずこの部分が出口を失って暴走してしまいます。


『そうだよね。こういう部分もあるんだよね。そう感じているんだね』と、とりあえずありのまま受け入れてあげるとその部分は、溜まった思いを主張するだけしたら、不思議なことに、あれだけ暴れていたものが落ち着いてしまいます。


ニュースなどで、事件を起こした犯人たちのことを近所で聴き周りをしている映像を見ると、『あんないい人が・・・』と表現されるのを頻繁に見聞きします。


ここに、いい人の仮面をかぶって、「いい人を演じること」の弊害が如実に現れています。
(でもここには、いい人を演じることで傷つかないようにしなければならないトラウマが隠されています。)


この世は、二極で構成されています。

男と女。
+と−。
N極とS極。
陰と陽。
善と悪。
光と闇。


お釈迦様は、中道を説いたといわれますが、この二極の真ん中にいることが、実は「空」の状態なのだろうと感じます。


人の心も、その内に存在するよいと思うものも悪いと思うものも、こだわりをなくし、両方ともをありのまま受け入れられたときに、心には安らかな平安が訪れるのではないでしょうか。


皆さんが、心安らかで、平安でありますように。





★本  2008.6.4

最近、本を買う人の多くが売り上げランキングを参考にして、人気のあるものを買っているといいます。


ですから、ランキングが上位の本はさらによく売れるようです。特に、一位のものがよく売れるそうです。


私も本が好きです。本屋さんに行くと、一、二時間は平気で滞在して、色んな本を手に取ったり、見て回ります。


普段は興味のないジャンルの本棚を見て回ると、思いもしない発見があったりもします。自分がこんなものに、実は興味を持っていたんだと、新たな発見をすることがあります。


私にとって本は、今でも自己発見や精神的な成長などの様々な気づきを助けてくれるとっても大切なものです。本はその人が一生をかけて気づいてきた思想や哲学や物事の真実に自分の家に居ながらにして、自分のペースでいつでも触れることができるのです。それも内容に比べると、とっても安い値段でです。


そんな自分の内面の構築に、大きな手伝いをしてくれる本を、みんなが読んでいるからという理由で上位のものだけ選ぶ人が多いと聞くと、正直、「日本人はほんとうに大丈夫なのか!」と思ってしまいます。


「みんなと同じものを選ぶ安心感」という心の病が、ここまで広がってしまったんだなと、これからの日本に不安を覚えました。


そう。過剰な「みんなと同じものを選ぶ安心感」は、心の病なのです。


自分が感じることや自分自身の思いがわからないから他人や世間の流れに従うのです。いわゆるこれは、自分がない状態だといえます。


以前から、ファッションに関しては、自分がない状態が顕著だったと思います。最近の若い女の子を見るとみんな同じに見えるのは私だけでしょうか?


・・・・。


なんだか、おじさんのぼやきになってしまいましたね。f(^-^;)


でも、人々の本の選び方については、ファッションのように体の外側だけに見て取れていたものが、はっきりと体の内側まで浸透してきているようで不安を感じてしまいます。


世界の自然環境を見ても、人間が根本的に変わっていく時期にきているのではないでしょうか。


そういう意味でも、多くの人にインナーチャイルドセンスを取り戻してもらうお手伝いをもっとしてゆきたいと思うのです。





★溜め込むことの影響
  2008.5.30

トラウマ統合療法のセッションでは、みなさんが長年溜め込んできた感情を解放して楽になってゆかれます。


心は見えない器だといえますが、この器の一番底にあるネガティブな感情は、「悲しい」という感情なのです。言葉で簡単に表現するとすれば、「愛されなくて悲しい」というとても重たい感情です。


心の器の表面にも悲しいがありますが、この底にある「悲しい」は、深層の部分のとても深い悲しみですので、ほとんどの人が子供の頃にこれだけは感じないようにずっと隠し続けてきたものです。だから、それが普通できているので、自分の意識の中にはそんなものがあることには気づいていない人が多いのです。


私の仕事のメインは、クライアントさんがこの過去に終わったはずの深層の悲しいにアプローチできるようにお導きをすることです。


ここが解放できると、自然に自分を心から愛するという流れが出てきて、誰もが生まれ変わったように自分らしく生きやすくなります。中には、「20年間、心療内科にかかってカウンセリングを受けてきて何も変化がなく、もう自分は死ぬまで一生しんどいままだとあきらめていましたが、こんなに楽になれるなんて思いもしなかったです」といわれる人もいます。


この方が感情を解放する時には、溜め込んできた年月が長く、その量も半端なものでなかったので、私もそのご本人もびっくりするようなものすごい感情の出方でした。


出せば出す程、その方はどんどんと楽になってゆかれました。ただ、私はセッション中に今までに感じたことがないしんどさを感じました。最初は、ただその時の体調だろうと思っていたのですが、その方のセッションの時だけとてもしんどくなることが続いたのです。


そして、そのしんどさはセッション後にも残っていましたが、お風呂に入ったり、シャワーを浴びるととたんになくなるのです。水とともに、何かが洗い流されていったのでした。


ある実験があります。1879年、アメリカの心理学者のエルマ・ゲイツ博士という人が人間が吐き出す息を液体窒素で冷却し、取り出した沈殿物がその時のその人の感情の状態によって様々な色に変化するということを見つけました。


平安な精神状態の時のものは無色、怒っている時のものは栗色、悲しんでいる時のものは灰色、後悔している時のものは淡紅色だったようです。


そして、怒っている人の沈殿物を水に溶かしてラットに注射すると、わずか数分で死んでしまいました。怒っている人の息には、怒りから発生した毒素が含有されていることがわかったのです。
(『眼からウロコが落ちる本』笠巻勝利著 PHP文庫 参考)


これと同じように、心の深層にあるとても悲しいという感情を解放する際にも、何かものすごくネガティブなエネルギーや物質が空気中に吐き出されているのです。私はとなりにいてそれを吸い込んで気分が悪くしんどくなっていたのでした。


でも、私はこれが仕事ですからいいのですが、その方にとられては、これだけのものを幼児期から何十年も溜め込んでこられてきたので、どれだけしんどくてつらかったことだろうかと改めて思いました。
(※ここでの例は、ご本人の承諾をいただいた上で載せております。)


この経験からも、いかに思いやエネルギーを溜め込むことが、人に大きなネガティブな影響を与えてしまうかがわかります。


心理学では、過去のつらかった出来事をふいに思い出すことをフラッシュバックといって、何か悪いことのように扱っていますが、私の経験からいいますと、浮かんでくるということは、過去のその時の感情がその時点で感じきれなくて心の中にエネルギーとして残っているので、その感情に触れる出来事や言葉や雰囲気などを感じた時にその感情と感覚が浮いてくるだけだと感じています。


これは悪いことなどでなく、心と体が出来事を思い出して、その時の感情を感じて解放しようとしている反応なのです。このせっかく解放して消えるために浮いてきているものを抑え込むと、さらに感情のエネルギーが抑圧されて心に留まり、生きづらさが増して鬱状態になります。


過去に激しい鬱を経験したことのあるクライアントさんをカウンセリングしていると、無意識的にもこうやって、浮いてきた感情を抑えてしまってから状態が悪くなっていった人がたくさんいることがわかりました。


このことは、クオンタム・ゼイロイドの測定の結果からも同じようなことが見えます。クオンタムには、共鳴周波数というものを見るところがありますが、この数値が20,000を超えるとその人の頭の方に電磁波とか静電気などが異常にたくさん溜まっていることを示します。


本人に自覚があることもありますし、自覚がなくてもこの状態の人もおられます。だいたい頭を使いすぎている方や電磁波をたくさん浴びすぎている方や気が上がってグラウンディングできにくくなっている方などが20,000を超えることが多いです。今までの最高値は、28,900でした。


共鳴周波数が高い人には、毎日数回、裸足になって地面の上に1秒でもいいから立ってくださいといいます。いわゆる、頭に上がっていたものを足から地面にアースして流れ出してゆくのです。


今まで、共鳴周波数が高い以外に、他の要因が見当たらない人で「何だかいつも体がしんどい」という方が何人もおられました。この方たちに、しばらくアースをしてもらったらとても体が楽になって元気になったという報告をいくつもいただきました。中には、癌が消えたという人や鬱が治ったという人もおられました。


鬱に関しては、園芸をはじめたり、畑仕事をはじめてたら、とても軽くなったり、治ったという話しを直接的にも間接的にも聞いたことがあります。


思いや感情、そして物質的な静電気や電磁波なども、溜め込んでしまうと必ず体に影響が出てきます。


何事も溜め込まずに、(感情に関しては罪悪感が出ない方法で、)その都度自然のままに流してゆくことが心と体の健康へつながるということをセッションでのたくさんの事例が教えてくれます。





★安心をくれた人
  2008.5.21

今回はかつて私が、自分でインナーチャイルドを癒した時に感じた家族のことを書きます。


私は三つの時に父が亡くなってから、残された母、兄、私の三人は母方の家に行きました。そこには祖父と祖母がいました。


私の場合には、職業上インナーチャイルドの癒し方はすべてわかっていたので、自分一人で色々な年齢のチャイルドを癒してゆきました。


子供の頃住んでいた家である祖父母の家をイメージすると、いつも台所に祖母がいました。色んな年齢の子にアプローチするために何度もその家に行きましたが、いつもいつも祖母は、台所にいてくれるのです。


そして、家に入って家の中の雰囲気を感じてみると、そこはいつも安心と安らぎを感じる自分にとって安全な場所だと感じました。


どうして安らぎを感じるのかと意識を向けてみると、祖母がいてくれるからということが瞬間にわかりました。


それまでは、私の意識の中には、おばあちゃんは大好きでいてくれてよかったとは思っていましたが、ここまで祖母からの安らぎと安心感を感じていたとは思っていませんでした。


祖母を感じるたびに、うれしくて涙が出てきました。そして、この家には3歳〜23歳までいたので、その家の中で浮かんでくる様々な年齢のチャイルドを感じて癒してゆきました。ずっと何人もの子供の頃の自分からその家を離れた現在に至るまでの大人の自分までアプローチしました。


それぞれの年齢で、それぞれの思いを感じてあげて癒してゆくのです。怒ったり、悲しんだりその時その時で、過去に終わったはずなのですが、感情はそのままの状態で残っていました。


その時その時のチャイルドが発散したいやり方で解放してゆきました。解放してその時のチャイルドをありのまま受け入れてあげて癒してゆくと、自然に心が楽になってゆきました。


そして、大人になった気になる場面の自分まで癒したその後で、今までの人生で出会って関わってくれた人すべてに、感謝の思いを伝えてゆきました。


今度は、大人の自分に関わってくれた人たちから、だんだんと年齢を下げていって、それぞれの関わりのある人たちに感謝していったのです。


仕事で関わりのあったたくさんの人から、一番最後には、父、母、兄にしっかり感謝の思いを伝え、そして、祖父から祖母へと伝えてゆきました。すると、祖母を思い浮かべた時に自分でも意外なほど、それまでの人の中で一番強い感謝の思いが涙とともにぶわ〜っと出てきました。


「おばあちゃんありがとう。おばあちゃんがいてくれることで、安心感をもって生活できていたことがわっかったよ。あなたがいてくれることで、僕もお兄ちゃんもさみしくなかったよ。おばあちゃんありがとう!!」と、チャイルドが伝えたかった思いが涙とともに一気にほとばしり出てきました


トラウマ統合療法のページにも書いていますが、トラウマは一見何もないように見える家庭環境の中でも負ってしまいます。今までセッションの中でも何人も見てきました。親が働きに出ていて、夕方遅くまで兄弟だけであるいは一人で過ごしていた人が、まるで虐待を受けた人と同じぐらいの強いトラウマを心のうちに残している人がたくさんおられました。


中には、おじいちゃん、おばあちゃんがいる人もいましたが、その子が満足する形の安心できる安らぎを感じさせてくれなかった場合には、別におばあちゃん、おじいちゃんが冷たい人ではなくても、強いさみしさを感じていたのです。


私の場合、母は愛情深い人ですが、その当時自分たちのために忙しく一所懸命働いてくれていたので、さみしくてもさみしいといっては母に悪いと思っていいませんでした。祖母にさみしいといった訳ではないのですが、今考えるとあの安心感は、いわなくてもおばあちゃんはちゃんとわかってくれているという安心感だったと気づきます。


祖母は二十年ほど前に亡くなりましたが、母から聞くと、とてもさみしい家庭環境で育ったようでした。小さいころから、重労働をさせられて、つらいけれども我慢してしていたそうです。


だから、祖母自身が親から思いを聞いてもらうことがなかったので、自分の思いを表現することがあまり上手な人ではありませんでした。でも、自分がとてもつらくさみしかったので、我々子供たちのさみしさは自分のことのように感じてくれていたのだと思います。


この祖母がいてくれなかったら、私はもっと強いトラウマを負っていただろうということが今の仕事を通じてとてもよくわかります。


おばあちゃん、ほんとうにありがとう!!あなたに会えたことを感謝しています!!





★イメージに隠されたメッセージ
  2008.5.13

前の4/30の記事「夢分析」のところで、夢は無意識からの言葉で、そのイメージは象徴として出やすいとお伝えしました。それは、セッションの中で見るイメージについても同じことがいえます。


たとえば、ちょっと特殊な例なのですがこんなこともありました。イメージの中で、子供の頃の自分にアプローチしていた人が、「大人の私にしてほしいことがある?」と聞くと、それまで普通の顔をしていたその子が急に、お化けのようなこわい顔になりました。


その人は、急にチャイルドがそんなになってしまったので、恐くてその子にアプローチするどころではなくなりました。このイメージをそのままとらえると進めなくなりますが、イメージには潜在意識が出してくる象徴がふくまれていることがわかっていますので、その方に落ち着いていただきながら、その原因を掘り下げてゆきます。


チャイルドが、「してほしいことがある?」という言葉に反応したということは、ここに何かが隠されています。現象の裏には、必ず原因があります。


見えてきたことは、この人は子供の頃からずっと、親にいいたいこともいわずに「いい子」になって我慢してきていました。そこには、「いうと親からよろこんでもらえないし、嫌われる」という思いがあったのです。


だから、心の中から自然に浮かんでくる「ほんとうは、自由にいいたいことがいいたい。でも、いえなくてつらい」という自分の素直な思いを感じてはダメだと、一生懸命抑え込んできていたのです。


このように、チャイルドが一生懸命感じてはいけないと抑えてきた思いを、ふいに大人の自分が聞いたものだから、それはその子にとっては、絶対に見てはいけないことなので、その絶対見てはいけないという思いを、「お化け」として象徴的に出したのでした。


お化けになっていれば、大人の自分は恐いしどう接していいかわからず、もうそれ以上チャイルドに触れ会おうとしないからです。


でも、チャイルド=大人の自分ですから、実はこれは、大人の自分であるその人がまったく無意識のうちに作り出した見ないようにするための抵抗のイメージなのです。


セッションでは、ここがわかれば、さらなる抵抗がかからないように無理なくゆっくりと、クライアントさんのペースを尊重にしながら、「いえなくてつらい」という心の奥で感じていた感情にアプローチをしてゆきます。


生きづらさの原因は、こういった過去の感じきれずに蓄積していった感情が発端になっていますから、ここを感じはじめられたら、流れが出てきてどんどんとその人自身もびっくりするぐらいに楽になってゆかれるのです。


私は現場にいてつくづく、色んなものを創り出してゆく心とは、ほんとうにすごいものだなあと感じます。


心は、ほんとうの言い分さえきちんと聞いてあげていれば、ちゃんと自分で自分を癒してゆく方法も知っています。


セラピストとしての私がするのは、様々な隠されたメッセージを読み解きながら、その方の心の素直な流れが出るためのお手伝をしてゆくだけなのです。





★安心できる場所
  2008.5.8

トラウマ統合療法を行って、家庭環境からのトラウマを持った方々を見させていただいていますと、子供の頃にどのような家庭環境にいると、大人になってからどのような影響が出るのか、様々なパターンがよくわかります。


それを逆に見れば、そのまま実際の子供に対する心の傷を負わせない対応の仕方や子育ての方法も見えてきます。今回は、そのあたりを少しだけ書いてゆきましょう。


たとえば、親に甘えるという行為を例にとってみますと、とても親に甘えてばかりいる子供は、その原因を感じてみると、その子が満足する甘え方が出来ていないということに気づきます。


いくらお母さんが「十分甘えさせているじゃないの」と思っていても、その子自身が満足していないので満足するまでお母さんからもらおうとします。


お母さんの方からは十分だと思っていても、その子が満たされ切っていないと感じているのであれば、それこそがその子にとっての真実になります。


たとえお母さんに愛情がたっぷりあっても、子供が満足しないときには、その子にとっては(・・・・・・・・)そのやり方が違っているということなのです。


その子の満足するやり方で十分甘えさせてあげると、子供は親の愛情をしっかりと感じられ、居心地のいい居場所を認識し、安心感を持ちます。


そうすれば、何かあればいつでもお母さんの元に帰れるんだと、お母さんから離れて子供らしく好奇心のおもむく方へと心を向けて自分から冒険をはじめます。


このように、子供が親に甘えるという行為の中には、愛情をもらうという意味合い以外に、安心できる自分の居場所を確認するという重要な要素が含まれていると感じます。


そして、とても大切なことは、親から安心できる居場所を十分に感じた子供は、親が扱ってくれるように自分自身も扱いはじめます。そうすると自然に、その子のこころの中にも安心できる居場所が形成されはじめます。


自分の内側に安心できる居場所がつくれた子は、軸のしっかりした安定した大人へと成長してゆくのです。


子供にとって自分が満足する形の愛情表現方法とは、何かができていようができていなかろうが、ありのままの自分をそのまま抱きしめてもらって、スキンシップをとってもらうことです。



あなたは、あなたのお子さんをどんな時にも、ありのまま抱きしめてあげていますか?

そして何よりも、あなたがあなた自身を心の中で、ありのまま抱きしめてあげていますか?





★メガネ
  
2008.5.7

私は近眼なので、普段はコンタクトレンズを使用しています。


数ヶ月前に、コンタクトの具合が悪くなり少し目を痛めてしまい、メガネに替えた時期がしばらくありました。


私がコンタクトを使っている時に来られたある女性のクライアントさんは、子供の頃からお父さんから怒られるばかりして、大事に扱ってもらえなかった人でした。


二回目のセッションで、前回は礼儀正しく和やかに話していたその人が、なんだかその日は様子が違って、イライラしているような落ちつかない感じでした。


その様子を感じていて、ピンときたので聞いてみました。


「もしかして、お父さんってメガネをかけられていませんでしたか」。


その人は、「そうです。どうしてわかるのですか?」と不思議がられていました。


でも、明らかに、メガネをかけていない時の私への接し方と、メガネをかけている時の接し方が違っていたので気づきました。でも、本人は接し方が違うことなど、気づいていませんでした。


人間には、ある反応の仕方があります。


女性は、お父さんに感じていた思いを異性である男性に重ねて見てしまって、お父さんにするのと同じような反応をしやすくなります。お母さんへの思いは、同性の女性に出やすくなります。男性では、それが反対になります。これを投影といいます。


先ほどの女性でいえば、メガネというお父さんと同じ特徴を持った男性の私に対して、まったく無意識のうちにお父さんを投影していたのです。


実はこの期間、同じような反応をする人がもう一人おられましたが、やっぱりその人のお父さんもメガネをかけていました。


こんなことでも、人の心には子供の頃の影響が大人になっても残ってしまって、まったく無意識に反応してしまうことがわかります。現場で様々な人を見させていただいていると、ほんとうに子供の頃のことがすべてに影響を与えているのがよ〜くわかります。そして、その影響を受けたチャイルドを癒すと、ネガティブな反応は消えてしまいます。


ちなみに、メガネをかけていたお父さんに、とてもやさしくしてもらっていたある女性は、メガネをかけている男性を見ると、好印象を感じるといっていました。


人間の心って、ほんとはとってもシンプルなんだといつも思います。





★夢分析
  2008.4.30

無意識の働きを発見した心理学者のフロイトさんやその弟子だったユングさんは、夢分析をよく行っていたようです。


私もそれには興味があって、今でも時々、自分の夢を分析します。


夢は、無意識からの言葉であるといえます。でも、その言葉は象徴としてのイメージで出てくるので、見た通りのとらえ方では、何のことやらわからないことの方が多いのです。


最近はまったく見なくなりましたが、何年も前に何度もよく見る夢がありました。それは、大学の授業に遅れたり、出席しなかったりして単位を落としそうになる夢でした。


何度か続いた時に、これは何を象徴しているのかと自分なりの方法で、心の動きを感じながら分析してみました。


学生時代は実際に、授業に遅れたり、出席しなかったりしたことはあまりなかったのですが・・・、時にはありました・・・f(^-^;)。その時に自分が思っている以上に、するべきことがちゃんとできていない罪悪感とかあせりの思いがあったことに、今更ながらに気づいたのでした。


そう。この夢は「するべきことがきちんとできていないよ。ちゃんとそれに手を付けないといけないよ」という無意識からのメッセージだったのです。


ちゃんとできていない度合いがまだ軽い時には、単位を落としそうになる夢で、度合いが高くなっている時には、単位を落としてしまう夢に変わっていました。


人間の心の中には、便利なチェック機能があるものです。やはり、自分の答えは元々自分自身の中にあるのですね。


夢に関しては、もっと色んなおもしろいお話がありますが、またの機会に・・・。


みなさんも是非一度、よく続けて見る夢を分析してみてください。無意識の言葉遣いに注意しながら。





★向きあい、そして手放す
  2008.4.30

世の中には、日々色々な出来事・現象が起こっています。


現象があるということは、必ずその原因がどこかにあります。その根本の原因さえうまくつかむことが出来たら、すべての現象が変わりはじめます。


物事のメカニズムがわかると、原因をつかむことが上手になります。原因をつかんだその次に必要なことは、それに「向きあい、そして手放すこと」です。


現象(結果)がでてくる元になった原因の部分はほとんどの場合、混沌としてとどこおっていて、いるものやいらないものなど様々なものが入り交じっています。


手放すためには、まず向きあって見なければ、何がいるのかいらないのかさえもわかりません。それなのに、向きあうことを恐れて、原因を混沌とさせたままにしている人が多く見受けられます。そういう方に聞いてみると、「何が出てくるかわからないから怖い」とよくおっしゃいます。


そういう時には、私はこうお伝えします。

「今まで原因をほったらかしていたのに、これまでの人生で死ぬこともなく無事に過ごせてこられたのであれば、その原因を今から見てもあなたは死んでしまうことは決してありませんよ。原因の中に死に至るようなことが含まれていたのであれば、とっくの昔に死んでいたはずですから、そうでなかった今は、もうそれを見ても大丈夫ですよ。過ぎ去ったことが、あなたを潰すことは、絶対にできませんから。ほんとうは、過去の傷ついたその時の感覚だけが残っているのですよ」と。


そして、手放すということは、捨てることのように思われている人も多いのですが、捨てるという行為は切り離すことになります。切り離すのは分離になってしまいますから、そうではなくて、まずそれを「受け入れる」ことが大切になります。受け入れることでいらないものは自然に離れていったり消えてゆきます。


無理に流れをつくろうとするのではなくて、受け入れると自然に無理なく流れが出はじめます。


ここで思い出す言葉があります。学生の頃に宿泊をしたユースホステルの主が僧侶でした。その人のお話しの中で、今でも心に残っている言葉があります。


行雲流水(こううんりゅうすい)


ゆく雲のように、流れる水のように、流れのままに、ありのままに・・・。






★頭の言い分、心の言い分
  2008.4.16 ※以前に書いていた「想うこと」に載せていた文章の再掲載です

しあわせの法則の中にも書いていますが、人は頭と心は一体で同じように感じて、同じように考えていると思っています。しかし、ほんとうは頭のいい分と心のいい分は違うことの方が多いのです。


「私は自分のことが大好きですよ」と、自信を持っていわれる人でも、セッションを行ってゆき心の奥を見ることで「自分のことが嫌い」だったことがわかって号泣してしまう方もおられます。


あるいは、「親のことが大嫌い」といっていた人が、心をのぞいてみると、ほんとうは親のことが大好きで受け入れてもらいたかったのにそうしてもらえなかったので、大嫌いだと思うようになったことに気づかれる場合もよくあります。


このような想いは、うすうすわかっていていたけれど、見ようとしていなかった人もいます。また、まったくその想いがあったこと自体に気づいていなかったという人もいます。


今回は、このあたりの頭のいい分と心のいい分について書いてみようと思います。


トラウマ統合療法は、その人の心の中にある真実を引き出して、スポットライトを当ててしまいます。自分が何を感じていて、対象の人や出来事に対してどう思っていたかがはっきりとわかり出し、今まで抑えてきた心のいい分が見えてきます。


心のいい分とは、心地よさ、自分らしさ、自由などの『自分らしい楽なほんとうの自分』です。心のいい分は、見つけられるとしゃべり出します。「もっと自分らしくしていいよ」、「もっと自由でいいよ」、「もっと楽しくしていいよ」と。


すると、今までの人生でず〜っとこれが自分の姿だと思いこんできた、「役に立たなければならない」、「いい子でなければならない」、「正しくなければならない」などの『ねばならないの役割の自分』である頭のいい分が、心のいい分を責めはじめます。「それはなまけることだ」、「それは自分勝手だ」、「それは悪いことだ」と。


でも、心のいい分こそ、ほんとうのその人、本来のその人の素直な声なのです。それが自分らしさに向かう入り口です。ず〜っと抑えられていたほんとうの声が聞こえはじめた瞬間です。


よろしければ一度、あなたの日常を振り返ってみてください。よく感じてみると、心のいい分を聞き逃していたり、責めていることに気づかれるかもしれません。もしも、このような頭のいい分と心のいい分の違いに気づかれた方は、ぜひ心のいい分の声を受け入れてあげてください。


そして、自分自身を責めないで、ゆっくりと少しずつでいいですから、心のいい分に素直にしたがってみてください。そうすることで、新しいあなた自身を感じはじめますよ。役割を演じているのではない、本来の自分らしいあなたです。


しかし、もしも心のいい分にしたがうことで罪悪感が出てくるようでしたら、しなくてもいいですよ。それをすると罪悪感であなた自身を傷つけてしまいますから。この罪悪感が出るかどうかが大切なチェックポイントです。


いつもいいますが、ゆっくりでいいのです。一歩一歩着実でいいのです。頭を落ち着かせて、心を澄ましていると、頭のいい分と心のいい分が聞こえ出しますよ。


頭のいい分と心のいい分は違うのです。






★グラウンディング
  2008.4.13

地に足がついていない時、気が頭の方に上がって上づっている時、なんだか落ちつかない時など、いわゆるグラウンディングができていない時には、つま先立ちになったり、足の裏の外側だけを着けたり、足の裏を地面にピタッと着けにくくなっている人をよく見かけます。


セッションの中でも、見たくないと思っていた感情が浮いてきた時などには、多くのクライアントの方がつま先立ちになります。中には、日常ずっといすに座っている時はいつもつま先立ちという方もおられます。


これは体と心が無意識のうちに、グラウンディングしないことで、意識を上に上げて、できるだけ(文字通り)地に足を着けないで現実を見ないようにとする反応のひとつです。


ただ、セッションにおいては、この見ないようにしているものも、過去に感じ切らなかったことで残してしまった幻影のようなものにすぎません。少し向き合うことで、感じはじめて解放がはじまります。


向き合って感じようとすると、どの人も不思議なことに足の裏がピタッと床に着きはじめます。


長い間、いつもつま先立ちだった方もその日から足の裏が着きはじめたります。一番グラウンディングをしない状態である解離(ぼ〜っとしたり、過去の物事を覚えていない等)の状態の人でも、見ないようにしていた深い感情を解放するととたんに解離がなくなってしまいます。


人が癒された時には、グラウンディングをして「今現在に向かいはじめる」のですね。


このことからも、人間には「今を生きる」ことが理にかなった生き方なのだと知らされます。





★変えられるもの
  2008.4.7

日常の中では、望まない色々な出来事が起こることがあります。多くの場合が人間関係から起因しています。


人間関係の中で何かが起こったとき、ほとんどの人がその相手を変えようとします。


でも残念なことに、変えようとすればするほど、その関係性は悪くなるばかりです。


人には他人を変えることはできません。変わったように見えるときには、その人が何かに気づいたか気づいて変わろうと思ったからです。


人が変えられるものそれは、自分自身しかありません。






★気質A
  2008.4. ※以前に書いていた「想うこと」に載せていた文章に少し加筆しました

前回の気質@では、後天的な資質をタイプ、先天的なものを気質と定義しました。ちょっとだけお話を続けていきたいと思います。


ホメオパシーでは気質について、遺伝的な要素のマヤズムという独特のとらえ方からこれを説明しています。


マヤズムとは、先祖がかかってきた重い疾患の遺伝的な記憶が、身体の細胞や遺伝子や心に深く刻まれてつくり出されたある種のゆがみであると考えられています。マヤズムの種類の大きなものには5つあり、ほとんどの人が2つ以上のマヤズムを持っているようです。そして、マヤズムが顕著に現れると以下のような気質(体質や内面的特質)が引き起こされやすくなるようです。


マヤズムの種類 引き起こされやすい体質 引き起こされやすい内面的特質 文化との関連
乾癬マヤズム アレルギー、皮膚病になりやすい。 根源的な恐怖や不安を持つ(暗闇が怖い、食べ物がなくなる恐れ、貧乏への恐れ、病気・死に対する恐怖等)。休息感がなく、極度に活動的で音や匂いに敏感。疲れやすい。いつも愛されていない、居心地が良くない、恵まれていないと感じやすい。 アフリカ文化
淋病マヤズム 秘尿生殖器感染、腫瘍、リューマチ、蓄膿症、子宮や卵巣の不調になりやすい。   物欲や肉欲が旺盛。派手でパーティー好き。持続力や忍耐力がない。お金のことばかり考える。 アメリカ文化や戦後の日本の経済成長期
梅毒マヤズム 骨や臓器の奇形、潰瘍にかかりやすい。 固定観念が強い。自己破壊衝動が強い(自殺をする、崩れ落ちてしまうように自暴自棄になる)。何か危険で間違ったものが自分自身の中に潜んでいると感じたり、自己批判をしたり、罪悪感を抱いたりする。また、そういった感情が暴かれるのを恐れる。疑い深く嫉妬心が強い。人との調和を嫌う。アルコール依存症に罹りやすい。 ヨーロッパ文化
結核マヤズム のどや気管支が弱い。喘息になりやすい。腸が弱い。 やる気はあっても身体がついていかない。常に新しいものを求め、支配から逃れようとする。美しいものにひかれる。芸術家タイプが多い。メランコリック。刹那的。犬への恐怖心が人一倍強い。 日本文化や美意識の強い国
癌マヤズム 癌、潰瘍になりやすい。 感情を抑え込む。人前で泣けない。人情もろいのに心の中にしまい込んで思ったことをいえない。責任感が強く自分を責めることばかりする。完璧主義。心配性でふさぎ込み(憂鬱)がちである。死や病気への恐怖が強い。 日本人に多い


このようにホメオパシーのとらえ方では、先祖の疾病による遺伝子への影響からも気質はつくられていくようです。人間は様々なものからの影響を受けて今ここに存在しています。そして、別の角度からこれらの気質を見ていくと「気質=カルマ」といえることにも気づきます。


カルマとは、サンスクリット語で「行い」とか「行為」を表す言葉です。仏教では「(ごう)」と表現されて、何か重々しいすごく悪いことのようなイメージがあります。しかし、この言葉自体には、プラスの行為もマイナスの行為も含んでおり、よいことでも悪いことでも行ったことが返ってくるという作用と反作用の法則について説明している言葉にすぎません。


また、このカルマのことを「〜の星の下に生まれた」という言葉で表現されるのを耳にしますが、これは、多分に占星術的な表現が一般化したものではないかと思います。古来からの東西の占星術はこのカルマ・気質を計り出してゆく技術だと思います。


「人間になぜ感情があるのか?」についての答えもこのカルマ論に通じてゆきます。でもこれを論じてゆくとゆうに一冊の本になるぐらいですので、今ここではちょっと置いておきますね。


さて、カルマは作用反作用の法則のことだと言いました。カルマ論は過去生うんぬん来世うんぬんということではなくて、今生の今現在が一番大切だよと言ってくれています。「今」を積み重ねていくことが、作用反作用の法則にも則って自分の人生の流れが形づくられることになるのですから。


今を生きるためのカルマからのプラス面の影響を受けるには、自分のほんとうの気持ちを知ることが大切になります。心の一番奥底の自分の気持ち・・・。実は、ほとんどの人がこれがわからずにいます。


それは子供の頃の生まれながらに持って生まれてきた純粋な気持ち。「きれい」とか「うれしい」とか「楽しい」とか「好き」とか自然に深く感じてしまう、とっても純粋な子供の頃のままの気持ちです。


私はこれを「インナーチャイルドセンス」と名付けました。


インナーチャイルドセンスは、見えない心の器の一番下にあります。これに深く触れてゆくには、ただ一つ。その上にある、過去に終わってしまったのにその時に処理できずに溜めて込んできたネガティブ感情を解放して手放してあげるだけです。


上に溜まっているものがなくなれば、自然にインナーチャイルドセンスは見えきますよ。





★ダンベル  2008.3.24

人はみんな、自分を成長させるために、自分用の重さのダンベルを持って生まれてきているように思います。(※ダンベル:筋力をアップする時に使う手に持つ重り)


心を成長させるための、心の力をつけるためのダンベル。


イヤイヤあげる人。力をつけるために積極的にあげる人。力がつくのが楽しくてあげる人。ダンベル自体を持っていることを知らない人。ただ、落とさないように持っているだけの人。そのとらえ方・鍛え方は、人様々です。


この世の課題は、自分用のダンベルをとりあえず、楽に上げられるようになること。


イヤイヤ上げると重たくてしんどいばかり。持っているだけではおもしろくも何ともない。


一番楽なのは、持って生まれてきている理由と目的を知り、力のつくよろこびを感じた人。


目的を持って、よろこび楽しみながら上げるので、知らない間に思っている以上の力がつくのです。





★気質@  2008.3.10 ※以前に書いていた「想うこと」に載せていた文章の再掲載です

人には、様々なタイプがあることを最近あらためて感じます。


たとえば、気の長い人と気の短い人、精神的に落ち込みやすい人と落ち込みにくい人、傷つきやすい人と傷つきにくい人、気の強い人と気の弱い人、積極的な人と消極的な人、肉体面では、疲れやすい人と疲れにくい人などなど、人にはそれぞれのタイプがあります。


このようなタイプの分類は、古代ギリシャの時代から行われています。医学の祖ヒポクラテスが体液による病気発生のメカニズムを説明した四体液論を唱え、それを2世紀の哲学者ガレノスが四大気質に発展させました。近代では、シュタイナー教育で有名な人智学のルドルフ・シュタイナーもこの分類を採用し、4つの気質として以下のように説明しています。


憂鬱質 地(固体)。体格・外見の特徴は、骨格ががっしりしている。脂肪はあまりなく、痩せている。うつむき加減に歩く。血色はあまりよくない。小さな字を書く。
内面的特徴は、失望してしまったり、苦悩に陥ったり、非社交的で孤独。持続力があり、注意力が発達している。独創的で、想像力が豊かな反面、固定観念にとらわれることがある。生活が単調になりやすい。
粘液質 水(液体)。体格・外見の特徴は、太った感じ。血色がよい。大人になっても童顔。ものに動じない。テンポがゆったりとして、鈍重な感じ。ゆったりと歩く。粘り強い。
内面的特徴は、カッとなることが少ない。思考力があり、冷静で、持続力がある。待つことが得意で、なにかいい機会があるとそれを逃さない。楽な状態に安住することが得意だが、一度やる気を起こすと大きな事を持続してすることが出きる。いい方向に向けば、正義感が強く、公正な態度がとれるが、逆の場合は、冷たい残酷な態度をとる。
胆汁質 火(熱)。体格・外見の特徴は、わりと赤ら顔。肩や首の周りの筋肉がたくましい。動作は激しく、てきぱきしている。踵で地面をけって歩く感じ。
内面的特徴は、愛憎が激しく、怒りやすいが、誠実。
把握力に優れ、すばやく物事を理解し、はっきりとした結論を出したがる。決断力に富み、他人に対し影響力を行使しやすいが、権力的になりやすい。他人に対して厳しい評価を下しやすい。
多血質 風(気体)。体格・外見の特徴は、プロポーションがよい。つま先立って宙に浮くように歩く。人当たりがよい。飽きっぽい。
内面的特徴は、喜びや悲しみに対して敏感。楽しいことが好きで、すぐいっしょにするが、飽きてやめるのも早い。美的感覚が鋭い。同情心があり、奉仕することがすき。子どもの時の性格で、そのまま大人になったようなところがある。理解力があり、想像力も豊かだが、熟慮するタイプではなく、簡単に結論を下す。物事を引き受けすぎる。



また、ホメオパシーでは、子供の体質タイプとして以下のように6つに分類分けしています。
タイプ 性格 恐怖と心配 身体的特徴
炭酸カルシウム 計画的に一歩一歩積み上げていくような仕事、忍耐や綿密な思考・行動を要求される作業に没頭する。独立心は旺盛だが、冒険好きではない。 暗闇、テレビや本に出てくる化け物。ネズミやクモさえ怖がる。 かなりぽっちゃり型で汗かきが多い。
苔杉 人前でうまく振る舞えるかどうかを非常に気にする。恥ずかしがり屋で自信がなく心配性。 失敗したところを見られるのを恐れる。暗闇、幽霊、大きな動物 やせている子が多く、長身でひょろ長い。
塩化ナトリウム 意見や評価されることをとても気にする。感情を抑えひそかにしか表さない。無口で独立心がある。くよくよ悩む。 自意識が強く、注目の的になること、喪失感を感じる出来事を恐れる。外からの侵入者、クモ。 やせ気味。よく食べるのに太らない。
心が温かく、思いやりがあり、慈愛に満ちている。明るい性格から、すぐに友達ができ、自分の思いを隠さずに正直に話す。 放っておかれると孤独感に襲われ、目的を失う。愛する物の無事を気にする。 長身で細めの子が多い。健康で透明感のある肌と長いまつげ。
アネモネ ひとりになったり、見捨てられることへの恐れがある。叱られるとひどく傷つく。優しく抱きしめられると簡単に心が和む。 もっとも恐れることは、見捨てられること。それが起こりそうな状況もすべて恐れる。 デリケートで恥ずかしがり屋に見える。
硫黄 自信があり、行動的で外向的である。時に自己中心で他人の気持ちに鈍感なことがある。だらしない あふれるばかりの元気と自信の持ち主なので、怖がる物はない。 大きくて力強い。

※ただし、4つの気質も6つの体質も一つだけに当てはまるのではなく、どれか一つに強い傾向はあっても、いくつかを複合的に持ち合わせていることが多くあります。




タイプや資質・体質をこうして見てくると、家庭環境などの環境面による後天的な影響によって形作られている側面と遺伝やカルマなどの先天的な影響によって形作られている側面の2種類があることに気づきます。


ここでは、後天的なものをタイプ、先天的なものを気質と表現して、お話を続けていきたいと思います。


人がほんとうのしあわせを目指したときに、タイプはプラスに転換しやすいのでよいのですが、気質は転換させづらいため否定的にとらえられることがほとんどです。これが過剰になると、それがどうしようもなく重たくて不要なもので、まるで呪縛のように見えてきてしまいます。


しかし、実は、この気質こそ人間ひとりひとりの大切な個性をつくってくれているのだと感じます。人はそれぞれ違っていて当然なのではないでしょうか。


違っているものを当然として受け入れられない今の世界情勢を見ていると、地球には、違うものを認めて尊重して受け入れるようになるための実験場としての役割があるように思えてなりません。


かくいう私も、それが十分にできているのかといえば、そうではない自分がいるのですが、ただ、最近ある体験をしました。


先月、風邪をひいてしまい、高熱を出しました。自分で観察してみて、私が高熱を出すときは、精神的に少し成長する時だと感じています。だから、私はこの状態を「知恵熱を出す」と表現しています。(^_^)


今回の知恵熱では、ありのままの今のまんまの自分自身を愛するということが心からできました。元々私には、完璧主義なところがあって、どこかで自分の中のマイナスのところに目がいく癖がありました。「あそこができていない」「もっと成長しなければ」「ここが足りない」「ここまでになれたらこれができるのに」と。


しかし、できるところもできないところも、いいところも悪いところも、きれいなところも汚いところも自分のすべてをそのまんま、ありのまましっかりと愛せました。風邪が治った今も、ありのままの自分を愛せています。


そして、ふと気づきました。この喜びは、瞑想をしていてすごく深く入ったときに感じるあの至福感と同じ感覚だったのです。何も瞑想をしたり、行をしなくても『ありのままの自分を愛する』ことができると、すべてのバランスがとれていくのだと思います。


「すべては己からはじまる」・・・。


ほんとうはみんなが生まれながらに持ってくる気質も、生まれてくる前にそれぞれの自由意志とカルマによって、今生はこの両親の間に生まれ、こんな気質を持とうと自分で決めてきたのだと感じます。さらには、こんなトラウマを負って、こんな経験をしようということも。(事実、前世療法では、このようなことを思い出す事例がたくさんあります。)


そう考えると、なんだか地球がひとつの大きな舞台に見えてきます。


この舞台の上では、多くの気質と無数の役割があります。しかし、まぎれもなくひとりひとりが主役なのです。


みんなの共通の役柄は、主役兼照明係。


光(焦点)は、いつも照明を向けた方向にあります。このスポットライトは、あなたの思いのままです。明るいところでも暗いところでも、いつでも自分でそこを選択して焦点を当てていますよ。





★こころの世界〜過去〜
  2008.1.29


人生論的な本を読んでいますと、よく目にする言葉があります。


「過去は忘れよう。今を生きることが大切である」


そう。今を生きることができれば、障害にぶつかって傷ついたとしても、日々を一生懸命に生きて、瞬間瞬間を完全燃焼して一日を悔いを残さず終わらせてゆけます。これは、人生のすべてに向きあい、すべてを受け入れてゆく作業ともいえます。このような積み重ねこそが、人間にとっての理想的な状態といえるのではないかと思います。


トラウマ統合療法も今をよりよく生きられるようになるための方法のひとつです。


今を生きることにスムーズに進める方は、そのまま今を味わい人生を謳歌してゆかれれば何も問題はありません。しかし、そこにスムーズに進めないという人の場合には、トラウマ(心の傷)が隠されています。表だってはっきりと自覚していなくても、隠されたトラウマが影響しているのです。


そして、多くの人が勘違いをしておられるのですが、トラウマは過去のものではありません。子供のころのトラウマも、実は過去のものではないのです。


三次元での時間の1,2,3,4,5・・・という時系列的な流れだけで解釈しますと、「2」の状態のときには「1」は流れ去って過去として終わっていることになります。でも、こころの世界の流れからいうと、「1」の上に「2」がその上に「3」が積み重ねられて、そのままそこにあったエッセンスは継続されて移行します。


記憶もそうやって積み重ねられるのですが、記憶はただそこにあるだけで、それ自体が人をうれしくさせたり、悲しくさせたり、恐れさせたりはしません。そこに継続されて残り続けているエッセンスが何かというと、『感情』なのです。


トラウマを負った出来事はたしかに過去として、まぎれもなく終わってしまいましたが、そのときに感じた心のエッセンスである感情は、味わって解放されない限りそのままそこにエネルギーとして残り続けます。味わいきって解放したときにはじめて、感情エネルギーはなくなり、記憶という形だけが残ることとなるのです。


そして、味わって解放した感情エネルギーが昇華したものが、『無条件の愛』となります。どうも、我々人間が地球という星に存在するのは、この無条件の愛を強め、完成させるためなのではないかと感じています。(このあたりのことは、拙著に詳しく書いてゆきたいと思っています。)


出来事は、過去に終わりました。ただ、感じきって解放されなかったネガティブ感情が心に残っているだけです。人間の根元にあるネガティブ感情は、『愛されなくて悲しい』です。この感情を子供のころは、直視して感じてしまうと、とてもつらくなって生きていけなくなる気がするので、感じないようにこころを防御するために子供たちそれぞれが様々な方法を駆使してきました。


・空想にふける
・ぼ〜っとして忘れる
・遊びに熱中する
・本ばかり読んで思考を強化する
・勉強ばかりする
・自分が悪いと自分を責める
・わがままばかり言って周りに怒りをぶつける
・周りを助け役立つ人になる
・いい子をして周りに受け入れられようとする
・悪い人になって嫌われる理由をつける
・できる自分になろうとする
・できない自分になって自分の価値のなさを確認しようとする

・・・・などなど、心の一番奥のネガティブ感情を見ないようにする防御方法はたくさんあります。


そして、とても大変なことは、トラウマを持った人みんながまったく気づかずに、大人になってもこの子供のころの防御方法を過去とまったく同じやり方でそのままやり続けていることです。


しんどい家庭環境の中では、自分で自立できない子供は、自分の身を守るために何かしらの防御方法をとることが絶対に必要でした。しかし、大人になって自分の身を自分で守ることができるようになっている今現在でも、無意識のうちにもそのやり方しか知らなかった、それで身を守れてきた、自分はそれをしなければならないなどの思いで、何年も何十年も同じ防御をそのまま続けているのです。


日常の物事においては、子供のころから成長するにしたがってその年齢にあったやり方にどんどんと変えていくのが普通ですが、生存本能が強く影響したり、客観視しづらいこころの世界においては、ほとんどの人がず〜っとやり方を変えないまま続けているのです。


これが、「過去は終わったから忘れて、今を生きて未来に進もうよ」といわれても、進むことができにくくなる原因なのです。こころの世界では、感情が過去のまま残っているので、過去として終わっていません。そうやって、実は世の中の多くの人の心の中、こころの世界が過去のままで止まってしまっています。


私も今では、家庭環境を少し聞くだけでその人のこころがどうして止まったままになっているのか、こころに感情エネルギーがどのように蓄積していったか、こころに何が誰が幻覚のように焼き付いてしまったかなど、その人の中心であるこころの世界のことがはっきりとわかるようになりました。


そして、順序通りこころの世界に入って行けば、誰もが例外なく『無条件の愛』にたどりつきます。その無条件の愛を一番はじめに与えられる相手、それは自分自身なのです。


皆さんのこころの世界は、今どのようになっておられるでしょうか?




★流れ  2008.1.9

私は今まで心理セラピストとしてたくさんの人を診させていただくことで、人間の心の成り立ち、法則がはっきりとわかるようになりました。人間の脳には、機械的なメカニズムがあることがわかっていますが、目に見えない心にもある意味機械的ともいえるメカニズムがあります。


これを潜在意識と顕在意識の観点から論じる方は多いですが、私は人間の「感情」というものの視点から心の構造、トラウマ、そして人間存在についてまでも、そのつながりを矛盾なく説明できることがわかりました。この原理を応用して、個人セッションを行わせていただき、その流れがうまく出てきますと、みんなが本来の自分を取り戻して、自分らしいよろこびの人生を歩みはじめられます。


このページでも、今までの心理療法の現場から気づいてきたことを深いものから気楽なものまで徐々に書かせていただこうと思っています。今回は気楽に「流れ」について感じていることを書いていきますね。


皆さんもお正月には、今年はどんな年になるのだろうと思いをはせられたことと思います。神社のおみくじもそうですが、お正月には今年の運勢という言葉をよく見聞きします。では、人生の周期的な流れや運気の流れというものは、ほんとうにあるのでしょうか?


若い頃はそんな占い的なことは、それほど信じていませんでした。かつて傾倒していた心理学者のユングさんは、中国の易経という占いも研究されていましたが、私はその部分に関してはそんなこともあるのかなあぐらいの感覚しか持っていませんでした。そんな私が「動物占い」というものがはやった時には、はまってしまいました。f(^_^;)


一面的ではなく、本質・表面・意志・希望という四方向からの見方を出してみたら、私の基本的な性格がしっかりと反映されていたからです。私は、コアラという星ですが、この星は、物事になぜどうしてと疑問を感じやすく、それを論理的に知りたいと強く思う星です。


その通り、私の思考形態はそのものです。今でも、論理的に誰にとってもわかりやすいように、森羅万象、世の中のほんとうのことを知りたいと願っています。私のホームページは、実はそのような思考のもと書かれているものですし、セッションの流れもそのようにしてとことん組み立てあげてきました。その他にも、物事をストイックなまでにまじめにこつこつするところは、ゾウという星が示しています。そう、そう。それから、コアラはゆったりの〜んびりすることも大好きです。


あまりに基本的なものが当てはまりますので、ある時動物占いの元になっている四柱推命をプロの方に見てもらいました。すると、様々なところまでよく出てくることがわかりました。講演をするような人前で話す星があるといわれていましたが、今では講演会として話させていただくことが多くなっています。


四柱推命では、作物を作る時の流れのように人生の運気の流れを開墾期、発芽期、成長期、開花期、収穫期と2年ごと5つの期間で10年の周期として見ますが、私自身は、四柱推命の運気の流れが示すところとその年の流れの結果や私が直感的に感じる年初の予想ともよく合っているように感じています。


セッションのはじめには、クライアントの方を動物占いで簡単に観させていただくのですが、たくさんの人を観ているとトラウマが強く出やすい星の組み合わせやその人が親からのどのような扱いや表現でトラウマを深めてしまうタイプで、なぜここまでこの思いや感情が強くなってしまったかなど、トラウマという側面でもその人の生まれ持った資質がこのような星の流れを観ることでもとてもよくわかるようになりました。


また、興味が高じて自分でも四柱推命や西洋占星術も勉強して簡単に観られるようになったので、自分や周りの人を観てみるとこれがまたおもしろいぐらいに生まれ持った本来の性格・資質がよくわかります。人間は生まれた瞬間から、他の天体や惑星、宇宙の影響をわからないところでとても強く受けています。人間はほんとうは、宇宙的な存在なのです。


西洋占星術では、昨年、今年、来年は冥王星の影響を受ける年だといわれているようです。特に今年は強いようで、冥王星の影響を受けると、自分自身の見たくないものが見えてきたり、内面に溜めてきた膿が出てきたりして、自分自身と向きあわなければならない流れになるようです。そして、うまく出せてゆければ、すっきりと次のステップに進むことができます。


うまく処理が出来ずに溜め込んできたものは、いくら目をつむってみないようにしても、忘れようとしても、そんなものはなかったと思いこもうとしても、処理をしない限りそのままの状態でずっと残ります。冷蔵庫の中の古くなって腐ってしまった食べ物は、捨てるという処理をしなければなくなりません。処理をすれば腐ったものからのくさい臭いやカビなどの胞子もなくなり、新しい食べ物を入れるスペースも出来て、快適な環境が整います。


そうです。見たくなかった問題が見えてくるということは、すっきりと快適な環境を整えることができるとっても大切なチャンスなのです。


もしも今年、ご自分自身が見たくないものを感じることがありましたら、少しずつゆっくりでよろしいですから、今までよりもちょっとだけ見てみて下さい。そして、なぜこんなものがここに存在しはじめたかをゆっくり感じてみて下さい。その先には必ず原因があり、そしてさらなる先には、思いもしなかったようなご自分が本来持っていた美しい光が必ず見えはじめますから・・・。


今年一年が皆様にとられまして、よろこびの年になりますことをお祈りいたします。





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